2016年1月4日月曜日

協力するということは、本能的行為か否か

先月の赤坂真二先生のクラス会議セミナーでの学び。

こんな問いがあった。
「協力するということは、本能的行為か。」
つまり、赤ん坊でもするかということ。

私は、違うと思った。
そうであるなら、誰しもが協力的になるはずだからである。

しかし、答えは「イエス」。
生後数ヶ月の赤ん坊でも、困った人を見ると、手を出そうという反応を示すらしい。
きちんとした学術的な研究結果があるとのこと。

そこで気付いた。
本能であるのに、なぜ先のように「誰しも協力的になる」という状態にならないのか。
これが、教育の効果である。

以前にも述べたように、非人間的行為により、赤ん坊を泣かないようにさせることもできる。
つまり、やり方次第で、本能行動であるはずの協力的な態度を殺すこともできるということである。

一番効果的なのは、他人と比較して競争をさせることである。
それも切磋琢磨のような形ではなく、とにかく相手を落としてでも人より優位に立とうとする競争。
人の不幸の上に自分の満足を築こうとする行為。
これを是としていれば、当然協力はしなくなる。

逆に、そういうことをしなければ、本能的に人は協力する。
困っている仲間がいれば助ける。
事実、幼児でも人のお世話をしたがる。
それをしないとすれば、誤った教育をしているということである。

普段、悪気無く行っていることに、本当に負の教育はないのか。
たまに立ち止まって考えてみる価値があると思う。

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