2016年1月14日木曜日

子どもの「木登り」を注意しておきながら思うこと

低学年の子どもが学校の木に登っていたのを、他の子どもが報告に来た。
登らないという約束がある以上、これは「危ないよ」といって降りさせた。

立場上、当然である。
ただ、単に子どもに対してという目からすると、木登りは子どもにとって大変意味のある運動である。
高さ感覚、腕支持力、バランス感覚、逆さ感覚、判断力、等々トータルで身につく。
生きていく上で結構役立つ力がつく。

ずっと以前だが、こんなことがあった。
中学校の林間学校に引率補助で参加した時のことである。
山の斜面を歩いて下っていった。
これが、歩けないのである。
坂道が怖いとのこと。
へたりこんでしまう子どもも結構いた。
幼少時代、夏休みは田舎の山奥でずっと遊んで過ごした自分としては、かなり衝撃であった。

この中学生に対して「だらしない」ということは容易い。
しかし、そういう子どもにしたのは、教育の影響が大きいともいえる。
子どもの周りから危険を完全に取り去れば、当然それに対応する力はつかずに体だけが大きく育つ。
箱が大きくなるのに、中身が入っていない状態である。

たかが木登り一つだが、色々と考えさせられた瞬間だった。

「学級崩壊」の言葉を捨てる

素直さと学級崩壊との関連について。 学級崩壊の分岐点は、ここなのである。 子どもがひねくれてしまっているのである。 最初から聞く価値がないと各々が判断している訳であるから、当然授業も成り立たない。 素直でないので、何を言っても聞かない。 「だって」と「でも」で屁理屈...

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