失敗への恐怖心をどうなくしていくか。
授業研の場面を例に考える。
ある子どもを指名する。
教師の求める答えとは違う答えを言う。
この時の反応である。
がっかりした反応をしていないか。
正答を求める「答え合わせ」をするなら、さっさと教師が教えてしまえばよい。
時間の無駄である。
そうでなくて、「面白い誤答」「価値ある誤答」をこそ求める。
(くだらないとしか思えない誤答もあり、そこは見極める。
基本的に、子どもが真剣に考えて答えた誤答なら、何かしらの価値があると思って良い。)
以前紹介した「授業はクイズ番組」という考え方である。
いかに、失敗に価値付けをできるか。
サッカーやバスケでシュートを大きく外した時の声かけはいつでも「ナイスシュート!」。
入ったかどうかは、結果論である。
数をうてばいつか入るのだから、うったこと自体がもうすばらしいと考える。
誤答も「面白い考えだね!」とか「それは、良い間違い!」と断定する。
良い間違いとは、例えば算数なら、テストでたくさんの子どもがやりそうな間違い。
それを、授業中に示してくれることは、非常に価値がある。
それにより、他の子どもが今後同じ失敗をするのを防げる。
「○○さんのお陰で、すごく勉強が深まったね!このままいったら全員危なかったね!ありがとう!」
と、クラス全体に共有する。
正答を言うのは、教師がいるのだから誰でもできる。大した価値はない。
良い間違いを示してくれる子どもは、一番のヒーローであるべきだ。
そういう風土、空気作りをして、初めてチャンスにチャレンジする子どもになっていくように思う。
結局は、担任が、風土、空気を作る責任者である。
その責任の重さを自覚し、反応していく必要がある。
2013年11月21日木曜日
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