東北地方へのボランティア活動に参加させていただいた。
動機は、子どもに教える上で必要だと感じたからである。
東日本大震災については、何かにつけて学校でも扱う。
安全担当などになると、尚更である。
現況を見て、自分なりの考えを持ちたいと思っていた。
動機は立派な善意とかはないので、そこだけは強調しておきたい。
正直、少し参加しただけでどうこうなるものでもないのも知っている。
しかし、せっかくのチャンスがあったので、参加させていただいた。
百聞は一見に如かず、である。
内容は、宮城県の海岸での遺骨や遺品の収集。
震災後、未だ見つからずに、海の底や浜辺に眠っているという。
過日の大型台風によって、また新たに漂着しているとのことだった。
特に遺骨が見つかる、というのは、遺族や関わった人々にとって大きな意味がある。
現地のボランティアスタッフの方から説明があった。
被災地では、復興に向けての作業が続いている。
しかしながら、2年8ヶ月たった今、国が遺骨収集に当てる費用の確保は難しいという。
どうしても、護岸工事や整地などの復興作業が優先になる。
したがって遺骨収集などは、ボランティアの手に頼るしかないとのことだった。
朝に作業を始めて、ひたすら浜を掘り続けた。
衣類はよく出てくるが、肝心の遺骨は発見できずじまいだった。
(遺品の類は少し見つかった。)
終了後、スタッフの方から説明があった。
遺骨は出てこなかったが、それは「そこにはなかった」という証明になり、発見へ近付いたことになる。
(これを聞いた瞬間、エジソンの「失敗ではなく、うまくいかない方法の発見」という言葉を思い出した。)
また、被災地の方々に「今も探しています」というメッセージを贈る意味もあるという。
被災地側にとって、「忘れ去られているのでは」という思いが一番辛いという。
だから、ボランティア活動に参加したら、帰ってそれを周りの人々に伝えるまでが活動、とのことだった。
私にはこの場があるので、発信させていただいた。
もちろん、学校でも伝えていくつもりである。
ボランティア活動は「やれる時に」「やれることを」「やれるだけやる」ことだという。
無理をしすぎず、かつきちんと続けていきたい。
2013年11月17日日曜日
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