チャレンジするために、考慮すべき条件が一つある。
それは前々回書いた「恐怖心」である。
チャレンジできない最大の理由は、恐怖心。
恐怖心を取り除けないと、チャレンジは難しい。
恐怖心の原因を考える。
例を挙げると、「跳び箱自体が怖い」場合と「跳べないことを見られるのが怖い」場合は、恐怖の根本が違う。
前者は、肉体的苦痛が予想されることによる、精神的苦痛である。
他の動物にもある恐怖心で、生命を脅かすことへの本能的恐怖である。
これは「安全」の確保が必須である。
落ちても痛くないように周りに何か敷く、補助をする、スモールステップで行うなど、失敗しても痛くない手をうつ。
体育においては、痛い思いはなるべくさせない方がいい。
たまたま野生児のような性格の子どもならいいが、そうでない場合、挑戦意欲そのものが削がれる可能性が高い。
「根性論」ではどうにもならない。
また、筋肉が無駄に緊張し、パフォーマンスが下がるので、尚更良くない。
クラスで一番かよわい子どもを基準に指導方法を考えるのが鉄則である。
(逆に野生児的な子どもは止めても自分からどんどん挑戦するので、安全面に一層配慮する。)
では、後者の「跳べないことを見られるのが怖い」という場合はどう考えるか。
長くなるので、次号に続く。
2013年11月11日月曜日
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