前号の続き。
「跳べないことを見られるのが怖い」というのは、自尊心が傷つくことによる精神的苦痛である。
変にプライドが高く、自意識過剰という場合もある。
これは、本人そのものが変わるより、周り全体を変える方がてっとり早い。
(人間は環境によって作られるため。)
「失敗しても大丈夫」な風土作りが普段から必要となる。
「○○さん、がんばって!!」と心から応援してくれる風土である。
この雰囲気は、体育の時間だけでは醸成できない。
授業を中心とした、まさに日常の雰囲気作りにかかっている。
逆に言うと、いわゆる崩壊している状態では、あらゆるチャレンジは不可能である。
チャレンジによるリスクが大きすぎる。
そういう状態で「がんばりなさい」というのは、無茶である。
チャレンジできる環境は、安全・安心な雰囲気作りから。
学級担任の第一優先の仕事である。
2013年11月13日水曜日
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