子どもが自主的に動けないと嘆く。
できないから、お膳立てしてあげる。
とかく、教師は丁寧&真面目でサービス精神旺盛なので、こと細かに準備する。
児童集会では司会の台詞まで用意して、子どもはそれに従えば大丈夫な状態にしておく。
部活動での準備を全て教師が行い、子どもは用意された場で活動を始める。
授業では失敗しないようにレールを引いておき、そこに誘導していく。
こういう活動を繰り返していけば、子どもはどんどん「お子様」になっていく。
自分がやらなくても、教師がやってくれる。
教師とは、自分の為に奉仕する存在であるかのごとく、間違った認識を持つ子どももでる。
ひどいと、教師と児童・生徒という上下関係すらも「平等」などと言い出す。
こういう「お子様」を育ててはならない。
その子ども自身も、不幸である。
どうしてこうなってしまうのか。
根源は、子どもに対する「信頼不足」でないかと思う。
「ここまではできない」「これは無理」という考えが、無用な先回りを生み出す。
例えば、「幼児は難しい漢字を覚えられない」と考える。
しかし、実際は平仮名より意味のある漢字の方が子どもにとっては容易であったりする。
だから、幼児向けの漢字カードのような商品もある。
「まだはやい」「できない」というのは、全て大人の側の思い込みであり、子どもはかなり色々なことができる。
子どもを信頼して、できることはどんどん任せるようにしたい。
2012年5月1日火曜日
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