学級担任は、とかく短所や問題点に目がいきがちである。
例えば、学級で手のかかる子どもがいる。
いつも悪態をついたり、または指示をきけないような子ども。
まあ、学級の1割程度はそんな感じの子どもではないかと思う。
必ずいると言っていい。
気になるので、いちいち注意する。
それは、必要なことである。
放っておくのはよくない。
問題は、周りの子どもである。
その子どもが注意されている時、周りの子どもも注意されている気分になる。
何も悪いことをしていないのに、損した気分である。
よくよく見ると、注意されている行動と真逆の行動をとっている子どもが必ずいる。
掃除をさぼっている子どもがいれば、すみずみまで黙々とやっている子ども。
授業が始まっても席につかない子どもがいれば、授業開始前に準備をして座って待っていた子ども。
話をしている時、手いたずらして子どもがいれば、真剣にメモをとって聴いている子ども。
マイナスを指摘するなら、プラスも指摘した方がいい。
むしろ、プラスを先に指摘すれば、マイナスの行為は自然に正される。
たとえば「○○君、姿勢がいいね!」と言えば、全員がしゃきんと背筋をのばす。
プラスとマイナスはセットで存在する。
例えば、陰陽道のマークは陰と陽が切り離せないことを示す。
必ず、両者はセットである。
マイナスを指摘する前に、プラスに目を向けたい。
2012年4月28日土曜日
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