教育実践も、偏ると危ない。
ある方法がいいからといって、別の方法が正しくないとは限らない。
状況を見て、柔軟に使い分けることが肝要である。
明治時代の俳人、萩原井泉水さんは、人間の柔軟性を豆腐にたとえて、次のように語っている。
豆腐は、形はしっかりしているのに、柔らかく、形を自在に変え、どんな料理にも合う。
しかも主役を引き立て、自己主張しすぎない。
それは、冷水につけられた後釜ゆでされ、更に臼でひかれた後、細かい袋の目をこして固められるという苦労をしたからである。
豆腐のような柔軟な人間になりたい。
自分自身、思うところがある。
例えば私は、以前から「教師をあだ名で呼ぶのはいかん」と考えている方である。
しかし、以前紹介した岩瀬直樹氏は、「イワセン」とあだ名で呼ばれている。
そうなると、教育実践の素晴らしい実績があるだけに、必ずしもこれがダメとは言えなくなる。
要はあだ名が問題なのではなくて、それによって指導が通らなくなったり、目上の人への敬意をなくすのが問題なのである。
そこがクリアできているなら、何ら問題ないということになる。
(しかしそれでも私は基本的に、教師をあだ名で呼ばせるのは避けた方がいいと考えている。
あだ名で呼ばせても上手に学級経営できる人なら、問題ないという話である。)
逆に勘違いしてはならないのは「じゃあ、あだ名でいこう!」と飛びついてしまうことである。
自分とクラスの子どもに合うかどうかは、別問題である。(まあ、とにかくやってみないとわからない面が多いが。)
柔軟な心で、様々な方法を認めながら、自分に合うものを模索するのが大切であると考える。
2012年4月3日火曜日
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