「自分の頭でよく考えて解きましょう」
「教科書は見てはいけません」
・・・結構、多くの教室できかれる言葉だと思う。
この二つの言葉は、同時に用いると、矛盾する。
だから、同時に使ってはいけない。
受験勉強を考えるとすぐわかる。
塾に通って解法を教わった生徒と、自宅で参考書を片手に「自力」で解いている生徒。
どちらが「自力解決」しているだろうか。
後者である。
前者は、塾の講師に教わっている点で、「自力」という点においては劣る。
後者は、参考書をよく見て、自分の頭でよく考えて、「自力解決」しているのである。
つまり、大学入試レベルまでの、数学の勉強における自力解決の力とは、「書物を見て理解する力」なのである。
「教科書の解説と解法を見て理解できる」という力が、その後の生きてはたらく力なのである。
それを見ただけでわからない子どもがいるから、教室で教えてやるのである。
算数や数学は「適切な解法パターンの選択」である。
「解法パターン」が本人の中にインストールされていることが前提である。
漢字テストと一緒である。
それを選択する過程が、問題を解く際の「考える」である。
無から有を生み出す行為ではない。
そんなことしたら子どもが考えなくなるという人がいたら、どこかの大学の数学の入試問題でも提示したらよい。
多分、5分もしない内に諦めると思う。
そしたら「よく考えましょう」「答えは見ちゃダメですよ」って。
そう考えると、結構子ども達に辛い思いをさせているのがわかると思う。
2011年12月16日金曜日
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