以前にも書いたが、日本の子どもの自己肯定感は低い。
世界でぶっちぎりの低さである。
もはや、奥ゆかしいとか謙虚とかのレベルではなく、情けないぐらいである。
自己肯定感の低さは、自分を認められないところからくる。
そして、自分を認めない人間は、他人も認めない。
「どうせあなたもそうなんでしょう」となりやすい。
結果、社会が荒れる。
なぜこうなってしまったのか。
自虐的歴史感だとか、日本人の気質だとか、様々あるとは思う。
ただ、教師として何ができるのかを考えた時、やはり「できるようにさせること」は外せないように思う。
(次号に続く)
2011年12月30日金曜日
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