子どもに「何でこんなことができないんだ」と怒りを感じる。
これは、まず間違いなく、自分ができていないことである。
(これについては、ずっと前にも書いた。)
「教師は子どもと共に学ぶ」ということがよく言われる。
本当に、そうだと思う。
至らない自分を、子どもが示してくれる。
教える立場でありながら、やはり子どもに教えられているのである。
(だからといって、教師と子どもが平等だなどという訳ではない。)
自分のクラスの子ども達に「できてないなぁ」と悩む点があったら、自分を振り返るといい。
子どもは、「鏡」である。
鏡の中の姿を一生懸命変えようと、鏡を磨いても無駄である。
「過去と他人は変えられない。変えられるのは、自分だけ。」
誰が言ったか忘れたが、名言である。
そこにしか、解決策はない。
2011年12月21日水曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
-
教材研究という言葉が一般的である。 教えるために、教師として教材を読むのが教材研究である。 (まるで私がわかった風な口をきいているが、完全に野口芳宏先生の受け売りである。 以下同様。) 教材研究の前にすべきは、素材研究。 教えるためでなく、一読者として作品について調べ、読み込む...
-
実習生にした話。 AとBで迷った時はどうするか。 AとB、それぞれのメリットとデメリットを羅列する。 メリットが多く、デメリットが少ない方を選ぶ。 その際、「安全」にデメリットがある場合、これは最優先で取り除く。 体育の授業における例としては ・帽子を被らせるか否...
0 件のコメント:
コメントを投稿