子どもに「何でこんなことができないんだ」と怒りを感じる。
これは、まず間違いなく、自分ができていないことである。
(これについては、ずっと前にも書いた。)
「教師は子どもと共に学ぶ」ということがよく言われる。
本当に、そうだと思う。
至らない自分を、子どもが示してくれる。
教える立場でありながら、やはり子どもに教えられているのである。
(だからといって、教師と子どもが平等だなどという訳ではない。)
自分のクラスの子ども達に「できてないなぁ」と悩む点があったら、自分を振り返るといい。
子どもは、「鏡」である。
鏡の中の姿を一生懸命変えようと、鏡を磨いても無駄である。
「過去と他人は変えられない。変えられるのは、自分だけ。」
誰が言ったか忘れたが、名言である。
そこにしか、解決策はない。
2011年12月21日水曜日
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