給与とは、仕事への対価として支払われる。
自分の提供した価値に対して支払われる。
教師の給与は高いのか低いのか。
それは、その人の提供した価値による。
給与以上の価値を自分は提供していると、はっきり言えるか。
これは、なかなか難しいことだと思う。
特に資金の出所が公共であるため、世間を納得させるほどでないといけない。
もし給与が低いなぁと感じていたら、こう考える。
自分が自分の雇い主なら、この人にどれぐらいのお金を支払うか。
意外と、もらいすぎかもと思うこともある今日この頃である。
2011年12月3日土曜日
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