仕事は、働いた量ではなくどれだけの価値を提供したかで決まる。
働くとは「はた(傍)をらく(楽)にすること」ということを言った人がいる。
その通りで、周りの人にとって価値があることをした時、初めて「働いた」といえる。
つまり、決められたことをそのままやったのは「労働」ではあるが、「働いた」とはいえない。
決められたこと以上の価値を提供した時、初めて「働いた」といえる。
ルーティーンワークに追われている限り、「働く」ことはできない。
当たり前の仕事に、プラスアルファの価値の提供、ここに全力をそそぐべきである。
2011年12月4日日曜日
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