2021年7月25日日曜日

ルールと思考停止

ルールの有用性と危険性について。


学校ほど細かなルールがある場所も珍しい。

特に時間ルールは細かい。

5分単位で全てのスケジュールが決まっており、目まぐるしい限りである。


ただ、このルールには大きな有用性がある。

ルールがあると、思考停止状態でも行動できるという大きなメリットがある。

全ての行動についていちいち「なぜ」とか「どうする」とか考えて行動計画を立てるのは負担が大きい。


習慣化すればそれを繰り返すだけでいい。

生活に良いルーティンを作れれば、それだけで人生が向上するというメリットもある。


大きな集団を管理するのにも大変有用である。

それに従わせられれば、考えさせないで集団にとって望ましくない行動を制限することができる。

集団を管理する者にとっては大変都合がいい。


ただ、物事は全て両面セットである。

メリットが大きいということは、デメリットも大きいということである。


ルール化とは例えるなら、公式化のことである。

勉強での公式丸暗記などと同じである。

無思考で公式的に当てはめていけば、一応の正解にたどり着く。

さっぱり理解していなくても、丸暗記さえすれば小学生で高校生の問題だって解ける。


ただこれは言うまでもなく、点数という大きなメリットを手に入れる一方、失うものも大きい。

公式化による高得点の弱点は、本当に理解しているかどうかは全く判別できないところである。


同じように、ルール化されたものを守っているからといって、その意味や意義を理解しているとは限らないということである。

ルールに無思考に従うというのは、人間のロボット化である。


ルールの設定には大前提があり、状況に応じて変えられるという点である。

状況に応じてより厳しくすることもできるし、無くすこともできる。


このルール改変の仕組みがないと、集団の成員にとって不都合が起きる。

理不尽なルールと気付いても、変える術が自分にないとなれば、それは絶望や諦めにつながる。


逆に言えば、集団の成員がルール改善を提案できることが、ルール設定の大前提である。

更に言えば、そのルールを成員が変えたいという場合、集団がそれに相応しい状態になっていることが条件になる。

例えるなら、自分勝手な運転が横行している以上、交通ルールの厳罰化は必然になっていくのと同じである。

ルール撤廃が妥当という集団の状態でなければ、撤廃要求が受け入れられることはない。


ルールというものの力は大きい。

だからこそ、無思考に従っているものに対しては、定期的に見直す必要がある。

学校にある無数のルールは、普遍の真理と呼べるものか、単なる慣習なのかは考え直す必要がかなりある。


今まであったルールを減らすことで、不都合が起きるかもしれない。

しかしその不都合を体験することも、思考力や判断力を伸ばす重要な学習機会になり得る。


ルールは無思考を促すツールにもなり得る。

カーナビ同様、考えずに従うことで便利な道案内にもなるが、行くべき道を考えられなくもなる。

親や先生の言ったしつけやルールに素直に従うというのは、成長におけるメリットも大きい。

しかしそれが従うに値すべきものであるかどうかというのは、一つ考えものである。


本当にそのルールは妥当か。

それで苦しんでいる人はいないのか。

むやみやたらに反対するでも従うでもなく、冷静な視点で客観的に見つめ直したい。

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