文脈においてスルーかリアクションかは決まる。
それでも新刊『スルー?orリアクション? 指導の本質を「見抜く」技術』では、どちらにするかを提示している。
そして、リアクションの提案が多めである。
なぜなのか。
前提として、メイン読者に経験の少ない先生方を想定しているためである。
必然的にリアクションが多くなる。
学級が育っていれば、スルーが多くなる。
そもそも、リアクションしないと不具合が生じる事態自体が少なくなる。
ポイントは、学級の段階がどこにあるかである。
例え同じ人が教えるにしても、相手が変わればスルーかリアクションかは変わる。
本書は、実は経験のある先生にこそ読んで欲しい。
10年程度経験を積むと、大体安定して学級経営をできるようになる。
そうすると、ついついやりやすさから、余計なところまで先回りして手や口を出しがちになる。
トラブルを事前に防ぐことは大切だが、成長の機会を阻んでいる可能性もある。
大切なことは、大概面倒くさいのである。
学級が育てば、敢えてスルーして様子を見るということが多くなってくる。
自分たちの力で壁を乗り越えられるようになるからである。
例えば、本の中では
「床に物が落ちている時」
という些細な場面に対し、2項目4ページも使って両方ともにリアクションの提案をしている。
学級が育っていない前提だからである。
ある程度育ってくると、床に物が落ちていること自体が少なくなる。
(ちなみにこれは前提として、そもそもごみが散らかっていない状態が先である。
ごみも落とし物も同じになってしまうからである。)
そもそも落ちている物が少ないので、気付いてすぐ拾う子どもが少数でもいれば、きれいな環境を保てる。
少し落ちている状態でもすぐに担任が拾ったり声かけをしたりしてしまうと、その少数が育たなくなる。
担任が、いつまでも自分が一番ではいけない。
自分よりも上の状態に育つには、ある程度育ったら余計な手出し口出しはしないことである。
(ここも勘違いしやすいのだが、どんなに全体的に育っても、クラスの全員がそういう状態になることはない。
トータルとして全体を良い状態に引き上げるが、個人差は大きいままでも構わないという感覚の方が健全である。)
この些細な場面一つでも、段階を見誤ると真逆の結果となるといえる。
育っていないのに放置してたら荒れ放題になるし、育っているのに構い続けてたら依存的になる。
段階によってスルーかリアクションかは変わる。
教育全般において、万人共通の絶対的な方法はない。
「個別最適な学び」の指すところもそれで、決して全てにきめ細かな個別指導をせよということではない。
個々に最適な学び方が別に存在することをまず認識せよということだと捉えたい。
「ハンマーを持つ人には全てが釘に見える」という言葉があるが、ここが要注意ポイントである。
うまくいく方法を一つ持っていると、全てにそれを適用したくなる。
しかしそれはハンマーでねじを無理矢理打ち込もうとするのと同様な行為であり、誤りのもとである。
たくさんの道具を持っている方が対応できる。
一方、どんなにたくさんの道具があっても、実際に使わないと使えるようにはならない。
学級段階に応じて、また個に応じて、ここはスルーかリアクションかを教育の本質という視点から見極められるようにしたい。
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