今回も「スルーorリアクション お悩み&質問にお答えします」シリーズ。
リアクション多めの状態からスルー多めの状態へどうもっていくかという話。
ちなみに今回も、動画解説を実験的につけてみた。
リアクションが多くなる理由は、手放せない段階だからである。
スルーが多くなるには、手放す段階へもっていくことである。
手放せない理由は、「信用ならない」からである。
前に例に挙げた、信号が判断できない幼児を外に一人で出歩かせない話である。
そしてわかっているのにいつまでも手放せない理由は、やらせないからである。
そしてやらせない理由は、失敗が目に見えているからである。
恐れず失敗をさせることである。
その時必要なのは、叱責ではなく励ましである。
初めてやらせたら、必ず失敗する。
必ずである。
つまり、失敗は成長にとって「必要不可欠」の要素である。
避けるべき対象ではない。
ところで、失敗した責任は誰がとるのか。
当然こちらである。
幼児に初めて食器をもたせて自分で食べさせたら、こぼしまくるに決まっている。
片づけるのは、そうさせた親である。
この「面倒」なステップを踏まない限り、いつまでも「はい、あ~ん」をしないといけない。
長い目で見れば、実はそれが一番面倒である。
子育て、教育は愛情ベースだからこそ、自立に向けて育てるのが基本である。
学級経営を見ていても、いつまでもこの「はい、あ~ん」を続けているところが結構ある。
それ、子ども、自分でできますから。
例えば「一年生だから無理」なら、二年生になると急にできるようになるのかとツッコミを入れたくなってしまう。
「一年生をなめてもらっては困る」と幼稚園や保育園の先生たちは思っている。
木に登らせなければ、当面はケガをしない。
しかし、将来いつか高い位置から落下した時に大ケガをする可能性が格段に高まる。
自然の中で体験できない現代の子ども相手なら、「見守りながら登る」というステップが一つ必要である。
ステップを踏んで、「大失敗しないと信用できる」という状態に、徐々に高めていくことである。
多少の失敗はいいのだが、回収不能の大失敗は困る。
先の幼児の例でいうと、交通事故は「大失敗」であり、絶対に防がなければならない。
一年生までに「見守りながら登校できる」段階まで、親が一緒に練習をする必要がある。
逆に、回収可能な失敗、指導者が責任を取れる範囲なら、どんどんさせる。
クラス会議を例にすると、子どもに司会をやらせれば、教師がやった場合に比べて、間違いなく進行は滞る。
話し合いもうまくまとまらない。
しかし、これを経なければ、次の段階には絶対に進めない。
自治を目指す以上、下手でもうまくいかなくても、何とか我慢して任せてやっていく段階が必要である。
子育てと同じで、いつまでもやってあげていては、成長がない。
これはきっと、一般の社員教育などでも同じではないだろうか。
上司や先輩がやった方がうまくいくプロジェクトを、若手に敢えて任せるからこそ、会社全体が将来的に伸びるのだろう。
(そして、任せて任せず。無事に責任をもって見届けるまでが「任せる」である。)
その際のリスクは「必要経費」である。
経費がかかりすぎると感じるようであれば、それはまだ相手を「信用できない」段階であり、時期尚早といえるかもしれない。
スルーを多くすることは、自治的学級づくりのステップと似ていると感じた次第である。
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