2021年3月23日火曜日

その文脈における適切な方法を選ぶ

 教育改革が進んでいる。


一人一台端末とデジタル教科書の導入検討。

35人学級。

一部の教科担任制の導入。


どれも一見、やってみたらいいような気がするものばかりである。

ただどのような方法であれ、前提や文脈によって良い方法は全く異なる。


例えば、中学校の制服問題。

ジェンダーフリーの観点から制服のスラックスかスカートかを男女問わず選択制にしようという動きがある。

制服をやめて私服化し、自由にしようという運動もある。

その中間の「標準服」を設定しようという動きもある。(私は高校時代これだった。)


しかし、制服の方が助かるという地域もある。

貧困の問題である。


例えば小学校で制服というのもある。

これは私立の裕福な学校というイメージがあるが、実際は逆の理由で採用されている場合もあるという。


一概にどちらの方法がいいとはいえない。

前提と文脈によって異なる。


この「文脈」というのは非常に大切である。

国語科の読解などは、この文脈を読めるようにするというのが主たる内容である。


(補足)

以前にも紹介したが、国語でつけるべき力は3つである。(「野口塾」にて野口芳宏先生の言葉より)

A 読字力

B 語彙力

C 文脈力


文脈を読むには、前提として言葉の意味や用法がわかっていないといけない。

一つの言葉なのに、全く異なるたくさんの意味を含むものがある。(例「すみません」)

従って、語彙力も必要になる。


話を元に戻すと、国語に限らず何事も文脈が大切なのである。

同じものでも、どの文脈で用いるかによって、良くも悪くもなる。


学級経営で考える。


ルールを守ることを重視するとうまくいく学年、学級がある。

一方で、ゆるく自由に楽しくを重視した方がよい学年、学級がある。

自由どうこうよりとにかく安全、安心に全力を注ぐべき学年・学級もある。


自由な学級の方がいいと思いがちだが、秩序のない自由は混沌である。

芸術ならそれもよいかもしれないが、教育活動は一定の目的を担っているため、混沌状態は何かと都合が悪い。


規律的な学級はぴしっとしていて良いように見えるが、柔軟な対応が必要な時に弱い。

命令系統に従うべき時に都合の良い状態である。


自分たちである程度の規律を保てるのなら、あまり縛る必要はない。

手綱を緩める方が生きる。

場合によっては、完全に手放して自由に動ける状態にしても、必要な秩序を保てる。


一方で、自由に動き回ったら他を傷つけたり自身が傷ついたりする状態の集団もある。

この場合は、きちんと手綱を握っておくべき時である。

手綱を緩めるのは、生きていく上での最低限のルールを教えた上で、それが身に付いてからである。


つまりは、文脈によって適切な方法は異なる。

自由と規律はどちらが良い悪いという単純なものではない。


ところで、学級や学年というのは、言うなれば単に偶然に集まった集団である。

特に公立小中学校はそうである。

スポーツ少年団や習い事、学習塾のように、特定の共通の目的をもった子どもだけが集まった集団ではない。

当然、個々の文脈が全く異なる。

学級毎の集団間の違いも大きくてある意味当然である。


それら分脈の違いに対応するにはどうしたらよいのか。


これは、学年や学級担任の裁量権を調節することである。

学年で揃えるべきところは、その学年の文脈に合ったものにする。

揃えなくても問題のないところは揃えない。

これは「ルールは少ない方が良い」ということと同義である。


例えば、教師の側の経験値や力量によって調節する。


初任者が含まれている学年団で「各々好き勝手にやっていい」は無責任すぎる。

揃えるというより、教えるべきところである。

逆に、4人中4人ともに十分な力量があるなら、何も無理にやり方を揃える必要もない。


例えば、子どもの状態によって調節する。


昨年度までに十分な経験をしてきて、秩序を守りながら豊かな学びをしている集団に対し、突然厳しい規律が入ったらおかしくなる。

逆に、昨年度に崩壊あるいはその寸前になっていた学年には、秩序をもたらすことが最優先である。

それをしないと、学力低下やいじめ問題などがより深刻化する恐れがある。


「前の年はこうやったらうまくいった」を踏襲することの危険性がこれである。

教師も子どもも文脈が全く違う。

異なる対応になって当然なのである。


これは「有名な〇〇先生がこう言ってたから」の方法が必ずしもうまくいかないことにも通じる。

鵜呑みはいけない。

どんな優れた方法であっても、あくまで「提案」である。

試してみて、それが自分と目の前の子どもに使えるものかどうか検討すべきである。


新刊の『スルーorリアクション』の1章のまとめのコラムにも、そのことを書いた。

スルーかリアクションかを考えるには、学級の段階を見抜き、文脈を考えることが大前提である。

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