2016年8月12日金曜日

成功イメージを持って指導する重要性

クラス会議での気付き。

今年度は、4月からなるべく子どもの活動を見守るようにしてきた。
多少失敗しても、自分たちで学べばいいと。

しかし、この方法の結果は、想像していたのと違った。
我慢して見守るだけだと、目指す方向とはほど遠い状態になる。

なぜなら、失敗しても、それを認識できないからである。
それは何が良いのか悪いのかが明確でないためである。
つまり「良い状態」のイメージが共有化されていないということである。

具体的に言うと、例えば円を作って座る時。
円ががたがたでも全く気にしない。
男女くっきり分かれて座っていても、それが普通。
遅れて円に入れない人がいても気にならない。
自分がでーんと座っているから円が動かないことにも気付かない。

そういう状態である。
「そこを気付くまで待ちましょう」という手もある。
あるにはあるが、どれぐらい待てば果たしてその「問題点」に気付くかである。
時間が無限にあればそれも可能だが、時間は有限である。

何が言いたいのかというと、未知の状態からは指導をしないと良くならないということである。
指導の仕方が問われるのであって、指導そのものを放棄してはならないということである。
「主体的」を目指すアクティブ・ラーニングは、放置では成り立たない。

教師の思う理想状態に近づけるのが、必ずしも良いこととは限らない。
しかし、理想状態を持たない教師のもとでは、子どもは育たない。
そして、それを機会を見つけて伝えていかないと何も変わらない。
たとえファシリテーターの役に徹するとしても、その役に徹しながら、やはり導くのである。

私の尊敬する師である野口芳宏先生は、
「指導とは、ちょっとの無理をさせ続けること」
という。
ちょっとの無理が、子どもを伸ばすのである。
少し負荷がかかるから、強くなるのである。

イメージなきところに、成功はない。
指導を怖れていては、指導者とはいえない。
クラス会議をやっていたからこそ見えた課題である。

子どもの眼・子どもの心

夏の読書に、次の本を紹介する。 『一年一組せんせいあのね―詩とカメラの学級ドキュメント』 鹿島 和夫 編 フォア文庫 https://www.amazon.co.jp/dp/4652039077 35年以上前の本だが、今の教育で欠けている視点が手に入る良書である。 ...

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