2016年2月17日水曜日

「正義」の正しさを問う

私が好きなある歌の歌詞に

自分の「正義」が人を傷つけることがある

というような内容がある。
本当にその通りだと思う。

傷つけることがある、というのはかなり控えめな言い方で、実際には、傷つけることの方が多い。

ある集団において自分の立場が上の場合、ここを特に強く意識する必要がある。
言い合える立場同士であれば、それほど問題ない。
喧嘩になるかもしれないが、お互い様である。
(国家レベルになると、戦争等の大問題に発展する。問題ないのは、あくまで個人間の話である。)

教室において、教師は立場が上である。
相手が言い返しにくい分、かなり自分の「正義」が通りやすい。
教室以外の社会のあらゆる場でも、指導的な立場、上の立場にあると、「正義」として通る。
ただ、その「正義」が本当に良いものかどうかは甚だ怪しい。

だから、教師と子どもがお互いに意見できる教室というのは、一つの理想型である。
子どもや親だからといって、無条件に教師に従う必要はない。
逆に、教師だからといって、子どもや親に必要以上に威張る必要も、卑屈になる必要もない。
こっちも言うべきことを言うし、相手も言うのが、健全な関係である。
(ただし、お互い相手の置かれている立場については、ある程度慮るべきである。
 無責任に言いたい放題になる。)

同時に、言うべきことでないことは言わない方がよい。
互いの「正義」をふりかざすと、ここからこじれる。
片方は「正義」だと思って言うべきだと思って言うが、他方にとってはそれ自体が「正義」に反していることがある。
例えば宗教が違えば、正義が違う。
だから、そういう危うさのあることは、下手に伝えない方がよい。
「常識」や「正義」は、時と場と人に応じて変化するものである。

そう考えると「教え方」以上に、教師がどんな人間であるかが大切である。
研究以上に、修養が必要であるというのもそういう理由からである。

自分の「正義」は本当に正しいか。
突き詰めると、必ず迷いが生じる。
それを踏まえた上でも、その「正義」を伝える明確な理由、信念を持って指導に当たりたい。

子どもの眼・子どもの心

夏の読書に、次の本を紹介する。 『一年一組せんせいあのね―詩とカメラの学級ドキュメント』 鹿島 和夫 編 フォア文庫 https://www.amazon.co.jp/dp/4652039077 35年以上前の本だが、今の教育で欠けている視点が手に入る良書である。 ...

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