2015年8月7日金曜日

価値ある判断基準

子どもたちに何度も聞かせている話。

過去と他人は変えられない。
変えられるのは自分と未来。

しかしながら、他人の行動を変える方法が実際にはある。
他人の行動を変える方法。
それは、褒美と罰。
称賛と恐怖。
アメとムチである。

その方法をとれば、確実に行動は変わる。
ただし、行動が変わっただけで、中身は変わっていない。

褒美の身近な例が、お金の為だけにやる仕事。
時給が高いからやるというのがその典型である。
自分にとって合わなくとも、嫌できつい仕事でもやる。
高給という褒美がつくためである。

罰の身近な例でいくと、交通ルール。
最近、自転車の罰則が厳しくなった。
罰金をどんどん取られるとなれば、交通違反をしなくなる。
ただそれは、すすんで交通ルールを守ろうとしているのではなく、罰金が嫌だからそうするだけである。
中身や価値観、考え方は変わっていない。

学級においては、なるべくこの方法をとらないことを心がける。
褒美による統治は、要望が段々高くなって、与えられなくなった時に破綻する。
罰則による統治は、不満をためる。
その不満が、本人の中身をマイナスにする。
成長するはずが、退化する。
教育の場で退化させては意味がない。

では、なぜ指導者からみた望ましい行動を進んでとってくれないのか。
その行動に価値を感じていないからである。
価値を感じていたり、それをしないと気持ち悪いという状態なら、進んでやる。
価値付け、意味付けが肝である。

掃除をやらないと気持ち悪いという子どもがいる。
掃除の気持ち良さを肌で感じている子どもである。
掃除をやるのが面倒だという子どもがいる。
掃除を単なる作業と捉えている子どもである。

ひとつ拾えば、ひとつだけきれいになる。
鍵山秀三郎氏の言であるが、名言だと思う。
そこに価値を感じると、拾いたくなる。
価値を感じないと、拾わない。
ただそれだけのことである。
そこは、強制も矯正もできない。
個人の判断である。

価値ある判断の基準。
ものさしを提示する。
感動は、その手助けをする。
本物に触れると変わるというのも、これである。
ただ、ここも示せるというだけで、実際に選ぶのは本人である。

子どもたちに、少しでも価値ある判断基準を示せるようにしたい。

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