木更津技法研での学び。
ある学校で、みんなから大変信頼されている先生がいた。
校長先生が、その人物について聞かれたという。
「なぜ彼はあのようになったのか。」
すると
「あいつには、私心がない。」
とのこと。
私心がないとは、即ち利他である。
ひたすら、周りの人のために動く人物なのだいという。
仕事の価値は、他への貢献度で決まる、ということは頭ではわかっている。
しかし、何だかんだで競争社会で生きのびてきた人間が、急に私心を捨て去って働く。
これは、なかなか難しい。
それでも、できる人にはできるようである。
ひたすらに、利他。
いつか、そういう境地に立ってみたい。
2015年8月13日木曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
-
教材研究という言葉が一般的である。 教えるために、教師として教材を読むのが教材研究である。 (まるで私がわかった風な口をきいているが、完全に野口芳宏先生の受け売りである。 以下同様。) 教材研究の前にすべきは、素材研究。 教えるためでなく、一読者として作品について調べ、読み込む...
-
実習生にした話。 AとBで迷った時はどうするか。 AとB、それぞれのメリットとデメリットを羅列する。 メリットが多く、デメリットが少ない方を選ぶ。 その際、「安全」にデメリットがある場合、これは最優先で取り除く。 体育の授業における例としては ・帽子を被らせるか否...
0 件のコメント:
コメントを投稿