2015年7月20日月曜日

「逆上がりができない」状況をどう捉えるか

逆上がり。
これができないと人生にどんな悪影響や問題が出るのか。
結論、できなくても社会に出れば必要性は低く、特に問題はない。
将来体育を教える立場になるとか、アクション映画さながらの高いところからぶら下がる状況になるなら話は別である。
普通に生きていれば、多分ほとんど使う状況はない。

では、やる価値がないのかというと、全く逆で、価値は高いと考えている。
学校教育は、そのまま実生活での実用性を第一とするものではない。
家庭科のようにそのまま実生活に直結するものも勿論あるが、そうでないものの方が圧倒的に多い。
戦時中の学校のように、実用性の必要に迫られて余裕のない状態では、学問的な教育は後回しにされてしまう。
海外の厳しい環境下の子どもたちも同様である。
本来、労働とは別に学問の機会が保証されて然るべきである。

話がやや脱線したが、要は実生活に直で役立つかどうかが価値ではないということ。
様々な種類の学習を通して、「人格の完成」という大きな目的に近付けていく。
その過程には「協力」「努力」「工夫」「論理的思考」「体力」など、様々な力が総合的に育っていく。
途中には「感動」もきっとある。
このような向上的な変容があれば、価値があるといえる。

その点において、「逆上がり」の学習はなかなかの優れもの教材である。
逆上がりが他の教材より優れている点は、獲得までのステップが明確であるということ。
目指すべき到達点と途中の段階がかなりはっきり見える。
そして、ここは長所でもあり短所でもある点だが、結構時間がかかるという点。
何十回、何百回という練習を繰り返していく中で、タイミングをつかんでいく。
一定の筋力も必要になるが、やっている内に、必要な筋力も徐々についていく。
日々の努力が「できそう」に近づいていける。
また、「できた」「できない」が身体の表現として本人に明確にわかる点がいい。
できた時の達成感がある。
できた結果、自己肯定感が高まる。

ただ前提として、できるようになること=技能の高まりが大切になる。
たとえ補助付きでもいいから、できたという達成感が欲しい。
そのための指導のステップとして、
『飯田・根本式段階別さか上がり練習法』や、
帯・タオル・ベルト等を使う練習がある。
「スモールステップ」で達成感を維持でき、大変に有効な指導法である。

問題は、高学年になっても、逆上がりができないままの子どもがいることである。
体育を中心に研究している学校ではクラス全員できることもあるが、他においてその状況は割と稀である。
結構、逆上がりができないまま進級することが多いようである。
そうすると、高学年担任は困る。
高学年としての高度な技や組み合わせ技に取り組ませたいのに、まずもって少し高い鉄棒には上がれない。
そして、鉄棒嫌いであることが多い。
重度だと、毎回見学する場合もある。
結果、教師の側も鉄棒指導が億劫になるということもある。

立ち返ると、逆上がりの位置づけである。
先に述べたように、逆上がりができないと絶対にいけない理由はない。
ただ、鉄棒運動へは意欲的に取り組めた方がいい。
そのための道は一つではない。
別のアプローチからも鉄棒運動を好きにさせたり、得意にさせたりすることはできないか。
今回、こうもり振り下りから入る鉄棒運動の単元を提起したのは、ここのあたりの問題意識による。
(そして、絶対にこうもり振り下りからやらないといけない理由も勿論ない。)

なるべく低学年の内に、様々な動きに取り組ませることが肝要である。

一律の宿題は、いらない

宿題の話。 例えば夏休み、学校では、どれぐらいの宿題が出た(または出した)だろうか。 教師の側からすれば「山ほど出した」という人は少ないと思う。 なぜなら「山ほど」かどうかは、受け手が感じることだからである。 「子どもの負担を考えて、少なめにしました」という人でも、相当...

ブログ アーカイブ