2014年10月2日木曜日

「やる気」以前の問題の可能性を考える

前号の続き。
「できない」の原因を考える。

以前も紹介したことがあるが、例えば「動作性IQ」が極端に低い子どもがいるとする。
(特別支援教育のスペシャリスト、川上康則先生からの学びである。)
何度テストをしても、漢字が書けない。
「やる気がない」「練習不足」と思いたくなる。
実際、漢字練習もあまりやってこないし、字もぐちゃぐちゃである。
しかし、真実は「文字が記号にしか見えない」という視覚的な情報処理の問題があったりする。
見えないものは見えないのである。
「そんなはずはない」と思うが、そうなのである。

逆の例で考えればわかりやすい。
例えば私には絶対音感がない。(多分、読者の方々もない人の方が多いと思う。)
だから、単体である一つの音を聞かされても、何の音かはわからない。
絶対音感のある人には、当たり前のようにわかることであるという。
「あかさたな」が聴き分けられるのと同じで、意識する必要すらないことらしい。
絶対音感のある人に言わせてみれば「わからないはずはない」のである。
視覚的にいうと、そんなもの「犬」と「太」の漢字の見分け方以上に簡単なことなのだろう。

しかし、私にはどうしてもわからない。
むこうから言わせてみれば「何でわからないの!?」だと思う。
わからないこと自体が理解不能だろう。
「絶対音感はみんなが持っているものではない」という概念がないとしたら、
「やる気がない」「練習不足」とみなされるかもしれない。

だから、自分と相手の情報処理の方法が違う場合、自分の感覚で考えても伝達がうまくいかない。
ただひたすらやらせてみてもダメである。

「できない」の源は何なのか。
この見極めさえできれば、問題は半分解決したも同然である。
逆に言えば、この見極めを誤れば、全て間違った指導にもなり得る。

教室には本当に「経験不足」なだけの子どもも混在する。
この子どもには経験値をどんどん積ませた方がよい。
叱咤激励も時に必要だろう。
一方で、逆効果になる子どももいる。
ここの辺りの見極めが、難しいところである。

何事も「根本・本質・原点」に着目することが大切である。

共感と勘違い

「インクルーシブ教育」に関連した話。 最近、刺さった本。 『跳びはねる思考 会話のできない自閉症の僕が考えていること』 東田 直樹 著 イースト・プレス (2014/9/5) http://www.eastpress.co.jp/shosai.php?serial=21...

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