2013年7月22日月曜日

「何をやるか」ではなく「何のためにやるか」

タイトルは、先日の「あこがれ先生プロジェクト」の主催者の中村文昭氏の言。
この言葉は授業に応用できる。

例えば、算数の授業で、分数の割り算を学習する。
「何をやるか」は「分数の割り算」である。
では、それを「何のためにやるか」と問う。
子どもに問うので、当然教師の側は解(解釈)を持って問う。

中村氏の話に、次のようなものがあった。
ある小学校で講演を頼まれ、何の為に勉強してるのか小学生にきくと、明確に答えられない。
「親が勉強せいって言うから。」
「義務教育だからですかね?」
正直である。

一人だけ、「医者になるためです」と答えたという。
「父のように人に感謝されて役に立つ人間になりたい」という。
「医者になるには、国家試験。
国家試験合格には、医学部のある大学。
医学部のある大学は、難関校。
難関校に入るには、中高でバリバリ勉強ができること。
そのためには、小学生のこの時点でできることをやる。」
(CD「中村文昭のしゃべくり壱~師匠の教え~」より要約)

そして、この子は、勉強の前におまじないを唱えるという。
「よし、今から医者になるために○○するぞ。」
○○には勉強をはじめ、手伝いや掃除など、様々な言葉が入る。

別に医者に限らない。
あらゆる子どもに、大人に、必要な考え方だと思う。

今日は、何のために授業をするのか。
今日は、何のために出勤するのか。
今日は未来のどこへつながっているのか。

「よし、今日も○○のために仕事へ行くぞ」
と、一念発起してがんばりたい。

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