最近、よく手紙や葉書をいただく。
卒業生からもあるが、各種の勉強会で知り合った方々からも多くいただく。
教師に名刺なんて、と思っていたが、やはり必要である。
つながりができる。
そもそも名刺を持つようになったのも、ある出版社の社長さんからの教えである。
セミナーや勉強会に出るなら名刺は持っておきなさいと教えていただいた。
帰ったらすぐ作りなさいとも言われた。
それで、すぐ作ったら、意外と配る機会がなかった。
なぜかというと、自分から交換に行かなかったからである。
「どうせ自分なんて」精神のもと、講師の先生に声をかけるなんて恐れ多いと思ったのである。
周りの人々に対しても同じである。
この精神でいくと、永遠につながりが広がらない。
講師の先生など、実は話しかけるとすごく丁寧に対応してくれる。
講師以外も、勉強会に参加する人はつながりを広げようと積極的な人が多い。
知り合いに行動力のある人がいて、物怖じせずに講師に積極的に質問をしに行く。
すると、何かしら得てくる。
これを見習って、なるべく自分からいこうと思った次第である。
最近驚いたのは、先日紹介した大変腰の低い講師の方から届いた封筒である。
西村徹先生という。
手紙だけでなく、様々なプレゼントまで入っていた。
私なぞにも届くぐらいだから、多分、他の人にも贈っている。
かなりの労力だと思う。
名刺交換して言葉を交わしただけなのに、この行動力には恐れ入るばかりである。
「偉」という字を見る。
「韋」は「はなれる 人並み外れる」という意味である。
(例えば、走るのが人並み外れて速いことを「韋駄天」などという。)
つまり「偉」とは、他の人とはちょっと違うことをする人のことである。
この西村先生のような方のことである。
ところで、「しんにょう」は「道」を表す。
つまり、「間違える」ということは、偉くなるための道である。
挑戦せずにじっとしていることとは「えらい違い」である。
自分も色々挑戦して、子どもにも「間違って、偉くなろう」と教えたい。
2013年7月17日水曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
-
前号の続き。 教師にとっては、結構知っておくべき「大切」な事ではないかと思う。 (そして、教師以外の人々には本当にどーでもいい話題であるかもしれない。) 例の如く野口芳宏先生よりずばり。 「課題」は出されたもの。 「問題」は感じたもの。 つまり、教師から与えたものが「学習課題」。...
-
教材研究という言葉が一般的である。 教えるために、教師として教材を読むのが教材研究である。 (まるで私がわかった風な口をきいているが、完全に野口芳宏先生の受け売りである。 以下同様。) 教材研究の前にすべきは、素材研究。 教えるためでなく、一読者として作品について調べ、読み込む...
0 件のコメント:
コメントを投稿