「教師も子どもも、同じ人間です。」
全く、その通りで反論はない。
「だから、平等です。」
そこは、違う。
教師と子どもは同じではない。
明らかに、教師の方が立場が上である。
国や県から給料をもらっている以上、子どもも親もはいわば「顧客」である。
しかし、顧客とサービス提供者の間に、上下関係はない。
よりよいサービスを提供し、両方が得をすることが健全な関係である。
子どもにとって、教育的により良いサービスとは何か。
それは、子どもに生きていく上で本当に必要な力をつけることである。
例えば、上下関係を教えることである。
社会に出たら、上下関係がある。
年上を敬うなどというのは、当たり前すぎることだが、意外にこれが分かっていない社会人も多い。
(特に、若くて勢いのある人に顕著である。若気の至りで終わりにしたい。)
子どもの中にも、教師を教師と思っていないような者がいる。
(しかも、相手によってがらりと態度を変える。)
どうしてこうなったのか。
一つに、一時期流行った「指導より支援」のいきすぎた考え方があるように思う。
指導を怖れて、子どもにおもねる傾向が確かにあったと思う。
支援の考え方は大切だが、それもきちんとした指導がベースである。
教えないでいきなりできるなら、教師はいらない。
正しいことは正しいと堂々と教えるのが教師である。
あいさつをまともにできない子どもは、社会で苦労する。
あいさつを教師より先にするのは、至極当然である。
そういう基本をおさえないで、他を指導しても通らない。
それには当然、教師の側も、自然にあいさつをしたくなるような人格が望まれる。
自らを高めつつ、上の立場の者として、子どもに堂々と指導したい。
2012年6月8日金曜日
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