2012年6月24日日曜日

歴史は「解釈」

6年生担任は、歴史の授業をする。
歴史が好きな教師なら、色々な知識を駆使して話すことができる。
そうでない教師には、なかなか荷が重いところである。
「自分で色々調べてみよう」といったところで、そもそもの興味づけができないと調べない。
だから、教える立場の者は歴史についての解釈を持っている必要がある。

新聞で、尖閣諸島についての記事があった。
尖閣諸島は当然日本の領土であると。
これも、一つの解釈である。
それは事実か解釈かという論議は、ただの水掛け論である。
事実は解釈によって作られる。
特に、歴史に関しては完全に解釈である。
自分がそう解釈しているのだから、そう教えればよい。
ただ、教える場合は色々な考え方を知った上での解釈が必要である。

教科書の記述は、外国の目を気にしすぎて、自虐的に書かれている面が多いという批判もある。
教える側は常に「これは他の解釈があるのでは?」と考える必要がある。

歴史の授業で最近盛り上がったのは「大仏作りは当時の人々にとって良かったといえるか?」というもの。
知識を色々与えた上で討論させると面白い。
歴史の授業作りで困っている人は、そういうテーマを考えると、一方的に教える授業から脱却できるかもしれない。

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