2012年6月26日火曜日

呼び捨て、「○○ちゃん」の効果を考える

呼称は大切である。
呼び捨て、「さん」付け、「君」付け、「ちゃん」付け、それぞれ効果が異なる。

私は、基本的に女子は「さん」、男子は「君」としている。
男女を差別化している。
日本語には男言葉と女言葉があるから、私はこれで良いと思っている。
(どちらが上とか下とか言う話とは次元が別である。)

ところで「○○ちゃん」とみんなに呼ばれている子どもがいるとする。
男女に関係なく、高学年なのに、その子どもだけ教師みんなから「ちゃん」付けである。
どういう子どもか。
大抵は、幼くて可愛らしく、かつ少し「手のかかる」子どもである。
つまり、少し当該学年より幼く見られている子どもであることが多い。
(私の経験則だが、今までのどの学校でもそうである。)

親愛の情を込めてきっと呼んでいるのだと思う。
それ自体はいい。
しかし、子どもをそう呼ぶことで、子どもの成長を阻害していないかとも考える。
「○○ちゃん」と呼ばれることで、自分はまだ幼くていいんだと思ってしまう。
周りの同学年のみんなとは違うんだと無意識に刷り込んでしまう。

だから、周りの人がどう呼ぼうと、私は必ず他の子どもと同様の呼称を付けて接してきた。
そうすると、面白いことに、自然と「きちんと」してくるのである。
別にそれが必ずしも正しいことだとは思わないが、効果があることは事実。
だから、私は毎年そういう子どもを見つけると、意図的に大人扱いする。

呼称一つでも教育効果はある。
教師の全ての行為が子どもを変える「教育」である。
(次号に続く)

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