2020年11月14日土曜日

苦しみは「○○が正しい」と決めつけることから

 以前、私の意見をテレビで都合良く編集されて放映された話を書いた。


箒か掃除機かお掃除ロボットか。

どれがありかなしか。


根本的に、間違っている。

なぜ同族、仲間同士で争わねばならないのか。

どれも掃除道具であり、得意の相互提供による役割分担である。


低コストで電力いらず、一斉にみんなで行うなら自在箒。

階段のように一段ずつが狭い場所も、幅がちょうどいい大きさの自在箒。

(ほこりを吸着するちょうどいい大きさのモップがあるなら、モップも便利。)


昇降口や玄関のように、砂が多い場所は土間帚。

トイレのタイルのような場所も箒か土間箒。


カーペットのように、ほこりが入り込んでしまうものは、吸引力のある掃除機かお掃除ロボット。


狭いフローリングならワイパー型の掃除シート。

体育館のような大きなフローリングの場合は、大きなモップ。


窓やドアのレールのような砂の入り込む細かい場所や、黒板の下の粉が溜まる場所なら、小帚。


どれも、ほこりやごみを取り除く道具だが、得意分野が異なる。

役割に応じて、それぞれ使えばいいのである。

どれか一つだけが掃除道具として絶対的に正しいと決めることに、全く意味がない。


また、実態の違いもある。


予算がものすごく潤沢にあるなら、全教室掃除機か、ロボットもあり得る。

もう少し抑えて、多少の予算があるなら、化学モップ。

または、子どもの数自体が少なくて掃除が無理なら、予算を組んででも機械や外の手を多少借りる手もある。


そうでなくて、子どもの数は多いが予算が少ないなら、教室掃除では役割分担も多くできてコストのかからない箒を主力に用いる。

あるいは、自分の手を使ってきれいにすることや、仲間と協力して頭を使って順序よく事を進めることを学ばせたいなら、やはり箒。


それだけのことである。


考えるべきことは、物事の真理として、二者択一論や絶対解の思い込み、対立の無意味さである。


あれがよくてこれはだめ。

○○の方がよい。

○○が絶対正しい。


そんなことは、絶対的には言えないのである。

多くの物事は、相対的である。


例えばこれを読んでいるあなたは今、どんな髪型をしているだろうか。

それに対し、ある人から「人間の髪型は○○に限る」と言われたら、どう思うか。

恐らく、大きなお世話と思うか、あるいはその人は相当偏った人なのではないかと疑うだろう。


子どもの将来の進路は、何が正しいのか。

大きな会社に勤めることと、規模は小さいが堅実な会社、あるいは新しく立ち上がったばかりのベンチャー企業、どれが正解なのか。

あるいは、就職をしないで、起業する方が正しいのか。

はたまた、生産者側に回る方が正しいのか。


そんなこと、絶対的に言える訳がない。

人それぞれである。

例えば全員が社長になってしまうと、社員がいなくて困ることになる。

あるいは全員が同じものの生産者だと、買い手がいなくて困ることになる。


世の中、絶対の解というのは、ほとんどの場合、ないのである。

人によって、状況によって、よりよいと思われる解は違う。

異なる者同士の相互扶助の関係であり、役割分担である。


だから、自分と違う選択をする人を、否定しない方がよい。

「○○すべき」「○○が絶対正しい」は、大きなお世話になりやすい。

それぞれ、事情があるのである。


生きる上での苦しみの根源的な部分であると思い、書いた。

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