2020年11月27日金曜日

同調圧力は使い方次第

 他人と近づく空間では、必ずマスクを付けるようになった。

誰しもが、そうする「当たり前」の話である。


なぜマスクをするのかというと、自分の身を守るためでもあるのだろうが、他人のためにもなる。

周りの人の安全・安心のためである。

手洗いもそうで、自分のためだけでなく、他人のためでもある。


みんながそうしている。

これは、みんなが他者への思いやりがあるから、と思いたい。


しかしながら、そうではないのかもしれない。

空気である。

そうしないと、自分が白い目で見られる、という意識である。

同調圧力というものである。


そう考えると何だかよくないもののように聞こえるが、これは意味がある。

同調圧力は、心の在り様に関係なく、一定の行動を引き起こす。

(逆にここへの反発心が強い人は、そのせいで無益な諍いを起こす傾向もある。)


ところで、「心の教育」が叫ばれて久しいが、一向に望ましい効果が出ていない。

それもそのはず、心というものが外部から変化させられるものではないからである。


一方で、行動というものは、心とは別に外部からの働きかけで変化が起こせる。

卑近な例を挙げると、優先席が必要と思われる人が近くにいる場合、そこにほとんどの人は自ら座ろうとしない。

「常識」的に考えて、周りの目が気になるのが「普通」だからである。

それは優しさとはまた別の話である。


常識や同調圧力は、本人が道徳的であるかどうかとは無関係に、使い方次第で社会的に望ましい行動を引き起こすことができる。

ここが一つポイントである。


要は、どこを変化させるか、というところである。

心のようにコロコロ変わって、かつ外からは支配・コントロールができないものがある。

そこを直接どうにかしようとするから、無理が生じる。


変えられるのは、行動である。

道徳的どうこうは関係なく、慣習に沿って動いている。

新しい慣習ができれば、そこに合わせた新しい行動様式をとる。


いじめの認知件数がまた増えて、過去最多54万人ということでニュースになっている。

ちなみにこれは文部科学省が発表した

「平成30年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について」

からの数である。

大分正しい認識が広がったが、学校が陰湿化している訳ではなく、些細なことでも学校が取り上げるようになった「成果」である。

その意味では、以前よりも学校が開かれた明るい場になっているともいえる。


このいじめ行為をなくしたいと、誰しもが思う。

だから心を教育しようとする。

ここに無理が生じる。

心は外的に変化させることはできない。


ここに、先の同調圧力をプラスに使えればいいのである。

「人をいじめて楽しむ人とか、かっこ悪すぎる。信じられない」という常識である。

「いじめ」が常識からの逸脱行為になっていれば、「おいおい、あなた空気読みなさいよ」ということになる。


そこをプラスの同調圧力にするためには、助け合いがスタンダードになっている必要がある。

「人を助ける・親切にするのは、普通」という状態である。


それをずっと遡ると、「仲間の物が落ちていたら拾ってあげるのが普通」という常識がある。

さらに「何かしてもらったらありがとうを言うのが普通」「人にはあいさつをするのが普通」という常識がある。


それらの些細なことから逸脱していくと、少しずつ逆の方向にいく。

先のように「弱い人をいじめるのが普通」という誤った状態になり、同調圧力が違う方向に働いてしまう。

一番落ちた状態が、正しい行動をとる人を「いい人ぶって」「かっこつけちゃって」と排除していく状態である。

変な同調圧力がかかって、あらゆる正しい行動を取りにくくなる。


これは教室だけでなく、荒れた職場など社会全体でも、この原則は同じである。

「悪ぶっている」人が幅を利かせているのは、多くの人にとって生きにくい状態である。

(だから、テレビのようなメディアに出演する人の言葉づかいやふるまいが、教室の子どもに与える影響は大きい。

人気がある=社会的にそれが「よし」とされている、ということを学ぶからである。)


同調圧力自体に善悪はない。

それよりも、この強力な同調圧力をどちらの方向に使うか。

学級経営においても有用な視点である。

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