2020年11月7日土曜日

成長する人は、変わろうとする人

 成長する人は何が違うのか、ということをよく考える。

子どもでも大人でも、自らどんどん成長する人がいる。


成長する人の性質を考えても、案外わからない。

本人に聞いても、本人もわからない。

それが本人にとって「普通」で、自覚がないからである。

普通の人というものは実は存在せず、全ての人はユニークである。


逆思考で「それをこの人がするか」という望ましくないことを考えるとよい。

それをしない人が成長するということである。


ずばり、成長する人は「周りのせいにする」ということが一切見受けられない。

本来、環境要因はものすごく大きいのである。

特にうまくいかないこと、自分の思うようにならないことがある時、どう考えても「あのせいで」と思うのが人情である。


ただ、それが真実でも、うまくいかないことを周りのせいにする人は、確実に伸びない。

なぜなら、自分を正当化すれば、自分を変える必要がないからである。

それは、成長の必然性にさらされないということと同義である。


ちなみに仏教の教えでは、人生は基本的に「苦」であるという。

何だか後ろ向きに聞こえるが、真理はそうではない。

どちらにせよ苦であるのだから、それを受け入れ、生きていくのが自然であるという、究極に前向きな教えである。


苦は、自分のためにあると考えるのを基本にしてみる。

そうすると、そこへの対処を自然と考えることになる。


「克服」は一つの方向性ではあるが、何でも必ずしも克服しないといけない訳ではない。

逆に、受け容れるというのも一つの方向性。

受け容れるの一種だが、「諦める」=「明らかに認める」というのも一つの方向性である。


見方ややり方を変えてみるというのも一つの方向性で、これは成長につながる。


成長するには、自分の認識と行動を変えることである。

うまくいかない相手がいた時に、自分の何を変えるといいか。

うまくいかない仕事が出た時に、自分の何を変えるといいか。


相手が変わってくれたら楽だが、それを求めるのは難しい。

子どもの立場であれば、教えてくれる人が変われば勉強をできるようになる気がする。

また、あの教科が、あのテストがなくなってくれたら、と思う。

実際はなくならない。


だったら、今の自分の勉強の仕方を、自分から変えるしかない。

うまくいかない方法をただがむしゃらに続けるのではなく、勉強の仕方を変える工夫をする。

学習の調整である。

それこそが、今学校で求められている主体的な学習への態度である。


成長する人は、自分から変わろうとする。

子どもに教えるべきことであると同時に、大人の働き方改革においても心がけることである。

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