2017年9月13日水曜日

音読を考える

木更津技法研での野口芳宏先生からの学び。
音読をどう評価するか、というのはなかなか難しい。

音読は、あくまで現象。
そして音読は一つの技法、技能である。
読解力と関連づけたいところだが、実際は音読の現象からその力を評価するのは難しい。
内容がよくわかっていなくても、上手い子どもはいる。
内容がよくわかっていても、読むのはあまり上手くない子どももいる。
それが現実である。

では、授業における音読の意味、形成学力は何なのか、と全体へ尋ねてみた。
一番は、間違いの発見だろうということで、意見が一致した。
わかっているつもりが、声に出して読むことで、初めてわかっていないことに気付く。
不備・不足・不十分に気付けるのである。
あとは、量。
やはり、何はともあれ、量を積むことは大切である。

ここに関連して「素読」の大切さについても述べられた。
教科書のない時代などは、写すことと素読だけで学習が成立していた。
それぐらい、時代を越えて根源的に大切な学習である。
声に出して読むことで、身体に染みこませることにも意味がある。
齋藤孝氏の「声に出して読みたい日本語」が大ヒットしたのも、そういう原点回帰といえる。

また、一方で高学年における「黙読」の大切さについても述べられた。
低学年の教材などは、短いのでそれほどの負担感もなく何度も読める。
しかし、高学年は、長い教材文も多い。
やはり、量が不足しているという。
「黙読」も大切にしてもっともっと読ませたい。

結局、読む力というのは、一朝一夕、うまい方法で身につくものではないらしい。
現代は何でも効率化が重視されるが、一見非効率な量の積み重ねは、何にもまして学習の基本である。

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