2017年9月11日月曜日

学習指導要領は「たたき台」

今年の3月に学習指導要領が公示されてから、教育界の動きは大きく変わった。
そもそも、学習指導要領とは何なのか。
文部科学省のH.P.には次のように解説されている。
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(引用開始)
学習指導要領とは何か?

 全国のどの地域で教育を受けても、一定の水準の教育を受けられるようにするため、文部科学省では、学校教育法等に基づき、各学校で教育課程(カリキュラム)を編成する際の基準を定めています。これを「学習指導要領」といいます。

「学習指導要領」では、小学校、中学校、高等学校等ごとに、それぞれの教科等の目標や大まかな教育内容を定めています。また、これとは別に、学校教育法施行規則で、例えば小・中学校の教科等の年間の標準授業時数等が定められています。
 各学校では、この「学習指導要領」や年間の標準授業時数等を踏まえ、地域や学校の実態に応じて、教育課程(カリキュラム)を編成しています。
(引用終了)
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国として、一定の教育水準を保つためのものである。
つまり、あくまで土台、たたき台である。
だから「地域や学校の実態に応じて、教育課程を編成」とある。

つまり、あくまで基準であり、すべてこの通りにやれというものではない。
マニュアルはあくまでマニュアルであり、応用されるべきものである。
たとえ何かのバイトであっても、マニュアル通り一辺倒の対応にはならないはずである。

時にマニュアルから大きく外れても良いが、目的を見失ってはいけない。
例えば一般企業であれば「顧客満足」と「長期的利益」の双方は落とせない。
学校であれば、子どもの「学校が楽しいこと」と「長期的な成長」である。
それを最低限保証するためのものである。

学習指導要領にこう書いてあるからそうするという思考は、危険である。
それは「先生がこう言ったから」と言うことを鵜呑みにして聞く子どもと同じ。
ロボットみたいな人間に教えられたら、ロボットみたいな子どもに育つのは必然である。
そんな姿勢で「主体的・対話的で深い学びを」などとは、口が裂けても言えない。
アクティブ・ラーニングの視点は、むしろ、教える側の心構えである。

「偉い人」がそういうからするのか。
それも同じこと。
自分の頭で考えていないことこの上ない。
先頭に立っている人間がもし間違えていたら、全員アウトである。
(無責任で依存的な人ほど、その人が失敗した時に手の平を返したように文句を言う傾向があるのも見逃せないポイントである。)

結局、最終的に頼れるのは自分自身だけである。
失敗しても成功しても、自分が決めたことなら納得がいく。
「文科省がこう言ったから」と過去の施策を批判するのは誰でもできる。
「学校がこうだから」「校長が、教頭が」「学年が」「子どもが」。
誰かのせいにさえすれば、言い訳は無限にできる。

自分の責任においてなら、一切の言い訳はきかない。
「自分がこう決めたから、こうした。」
といえば、自分で自分の人生を背負える。

学習指導要領は、あくまで土台、たたき台。
それをどう実践して形にするかは、すべて自分の創意工夫。

すべては私の責任。
そう言い切れるように、自分の実践をしていきたい。

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