前号の続き。
技能不足をルールに逃げてはいけないという話に関連して。
先日、船橋でのサークル「スイッチオン」で話した内容である。
実際、成果が上がらない時、「やり方」に原因があることは多い。
漢字練習しかり。
水泳指導しかり。
やり方は大切である。
一方で、やり方以前に、量に問題があることも多い。
正しいやり方を知っていればすぐに成果が上がるはずという思い込みである。
とんとんと上手くやれてきた人が壁に当たると弱いというのは、この点にもある。
やり方さえ上手ければすぐにできるというものもあるが、そうでないものもある。
わかりやすい例で言うと、水泳である。
「畳の上の水練」という諺がある通り、どんなに理論がわかっていても、実際泳がないことには始まらない。
理論の上でどうすれば泳げるか完璧にわかっていても、そのままプールに入っていきなり泳げるはずがない。
時に水を飲んだり鼻に水が入って痛い思いもしながら、段々に上手くなる。
そのためには、量である。
正しいやり方を知った上で、やはりまずは量。
たとえ非論理的な方法であっても、量は何かを残す。
どんなに質の高い方法であっても、量がなければ机上の空論にすぎない。
十分な経験や量があればこそ、理論も生きるというものである。
そして量をこなすには、数え切れない失敗体験が必要である。
うまくいかないからやらない。
その考え方では、量を積めないからうまくいかないという悪循環である。
とにかく、量を積ませる。
これができると、少なくとも子どもに力は確実につく。
ただやらせ方によっては嫌いになって長期的にみて逆効果になるので、そこが難しいところである。
(小中学校の大会でとんでもない新記録を出して、その後二度とその競技をやらないというパターンは結構多い。)
逆に言えば、進んで量を積もうとさえ思わせるようならば、それは指導として成立しているといえる。
量か質か。
この問いの答えは、二者択一ではない。
質と量は、車の両輪である。
どちらもないと成り立たない。
今回、様々な指導を通して、痛感した学びである。
2017年9月6日水曜日
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