最近、原稿でも講演でも、インクルーシブ教育に関わる依頼が多い。
現代のニーズがそこにあることが読み取れる。
多様な子どもにどう関わるか。
体育でも「共生」の大切さが強調されており、パラリンピックへの啓蒙意識も強い。
さて、「インクルーシブ教育」も「共生」も理想はいいのだが、現実はなかなか厳しい。
学力の面でいうと、学習指導要領には最低基準が示されており、そこへの全員到達が望まれる。
そうなると、かなり進んだ子どもへも、到底届かなそうな状態の子どもへも、その中間含めすべてへの対応を望まれる。
一人一人に完全個別指導することができれば可能だが、現実的ではない。
結局、一斉指導をどうするかという原点に行き着く。
昨今、一斉指導を否定する言がちらほら聞かれるが、これを鵜呑みにすると危ない。
そもそも授業とは、一斉指導である。
複数の相手に一人の教員が指導するのだから、一斉指導以外にない。
(制度自体が変われば話は別である。)
インクルーシブ教育における個別指導だって、個別の合理的配慮はしても、一斉指導の中での話である。
有識者が言っているのも、一斉指導の単なる否定ではなく、その真意は黙って座って聞かせる授業に限界があるということである。
(ちなみに、有識者側もそれを教えるために黙って座って聞かせていることが多い。)
怖いのは、横文字教育用語や「一斉指導否定」などを、前衛的だと思って、若者が感化されすぎることである。
一斉指導が当たり前にできない教師では話にならない。
インクルーシブ教育どうこうの前に、特に問題なく学習できる子どもたちを荒らさないことである。
そういう諸々ができた上で、理想の話に近付く、というのがステップである。
今の時代は、ここが厳しい。
いきなり難しい状況に放り込まれて、さあ努力と工夫でがんばれ、という感じがある。
まずは、マニュアル的ノウハウが必要である。
マニュアル否定は、マニュアルを越えた時にすればよい。
最初からゼロベースのオリジナルのやり方では、非効率すぎる。
大学の実習時代に最低限教えておきたいところである。
まずは、一斉指導。
ここの大切さを、今一度強調したい。
2017年9月15日金曜日
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