2017年7月11日火曜日

相手によって対応を変える

一般に「差別」はよくないと言われる。
人種差別しかり、男女差別しかり。
不当な差別はいけない。

しかし、これを拡大解釈して、何でも同じように扱うこと、と捉えると間違える。
誰に対しても、何に対しても同じ対応でいいはずがない。
以前にもこの例を出したが、すべてに金槌ではダメなのである。
(アブラハム・マズローの言葉「ハンマーを持つ人には、すべてが釘に見える。」)
釘を叩くには金槌、太鼓を叩くにはばち、肩を叩くには手である。
全部金槌でいかれたら、とんでもないことになる。

幼い子どもとそうでない相手と対応が同じはずがない。
そして何よりも優先されるのは、個人差への対応である。

同じように伝えても、伝わり方は千差万別である。
だから「言ったでしょ」は通用しない。
(この言葉は、何でもてきぱきやる人に多い言葉である。)
言われた側からすれば「あんたが勝手に言っただけ」である。
言えばわかるなら苦労はない。
言ってわかる子どもは、聴覚情報優位の子どもだけで、全体の3割程度である。
視覚優位の子どもが最も多く、書いた方がわかる子どもの方が多い。
身体感覚優位の子どもは、見せたり聞かせたりするより、やらせた方がわかるということもある。
相手によって、対応は変えるべきである。
金槌の話と同じである。

一方で、相手によって変えない点が一点だけある。
人格の尊重である。
幼子でも人格は尊重すべき。
その点において、子どもより大人の方が上ということはない。
上司より部下の方が上ということもない。
この点を履き違えると、尊大になり、あらゆる人に嫌われることとなる。

時々、友達口調の店員さんやセールスマンがいたりするが、これも場合によって正解だし、場合によっては間違いである。
初見のお客さんに対し「いいっすよね?」は、ない。
子ども時代から「平等」「自由」の名のもと、言葉づかいを正されなかった教育の結果かもしれない。
そう考えると、公的な場で大人に対する言葉遣いを教えるのは、親と学校の両者の責任である。

総じて「素晴らしい」と言われる人たちは腰が低い。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の句の通りである。

その方法は、目の前の子どもに適合しているのか。
常に自問するようにしたい。

スペースを埋めない

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