2017年5月14日日曜日

母の有り難さ

母の日の記事の再アップ。

母の日。
「子どもの日」と名称が似ているが、子どもの健やかな成長を願う日であるのとは訳が違う。
あくまで「母への感謝」を具体的に伝える日である。
(父の日も同様なのだが、かなしいかな、後付けの感は否めない。)

母親がしていることは、母親的には「当たり前」のことである。
しかしこれはあくまで「お世話」の行為の主体者である母親の感じ方である。
お世話されている側が「当たり前」になってはいけない。
しかし、空気と同様、ふんだんにありすぎるものに対しては、当たり前すぎて感謝の気持ちを持ちにくい。
例えば水泳をすると、普段全く意識しない空気(に含まれる酸素)が有難いものになる。
「有ることが難しい」環境を体験して初めて「有難い」ことに気付く。
本当は有難いのに当たり前すぎるものに対しては「気付く」ためのきっかけが必要である。

以前にも何度も紹介しているが、「当たり前の有り難さ」について考える時、震災の時の給食を思い出す。
普段当たり前のように食べて、余るから残している給食が、急に少量の質素なものになる。
いつもよりずっと質素な白飯とおかず一品の献立が、本当に有難く感じられる。
当然、残飯など全くない。
食料の調達が、たくさんの人の手によってやっと成り立っている事実にも思いが至る。
自分が、いかに恵まれた環境で、たくさんの人々に支えられていたかにも気付く。

そんな訳で、母の日は感謝を伝える日であると同時に、感謝に気付く日でもある。
家族内で多分最も重労働をこなしている母親の姿に思いを馳せる日である。
見回せば、あらゆることの感謝に気付く種がいっぱいある。
「当たり前」の「有り難み」を感じられるようにしたい。

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