2017年3月16日木曜日

自由と安全

自由な話し合い。
自由な活動。

聞こえはいい。
しかし、実際にやってみたら、ぐちゃぐちゃになったという経験のある人が多いであろう。

「自由にさせる」というのは、かなり気合いがいる。
乳幼児が集まって遊んでいる「自由」と同じ状態になる。
ルールや方向性がないため、どうなるかさっぱり分からない。
こちらから見れば用途が明らかに決まっているものでも、全く違う遊び方をする。
ある意味「アート」である。
それが「遊び」の創造性であり良さでもあるのだが、当然危険なこともする。

そこでどうするかというと、「安全第一」で危険物を取り除くことになる。
ビー玉などの飲み込みそうなおもちゃは与えない。
はさみなどの刃物や、鋭利な角のあるものなど、ケガをしそうなものは与えない。
投げたら壊れてケガをしそうなものは与えない。

ルールがない分、予め危険要素を排除するという配慮が必要になる。
何が危険要素かは、その知的発達の度合いによる。
はさみを与えるタイミングは、「切れてケガをすることがある」と判断できるかどうかである。
(2歳未満の子供に「危ないでしょ!」と怒鳴って叱っても、安全の判断ができないのだから無理である。
 訳もわからず恐怖感でやらなくなるかもしれないが。)

話し合いを「自由」に近づけたいという場合、ここの配慮が必要である。
自由な話し合いも、安全のベースがあってこそである。
では、話し合いにおける「危険」とは何か。

長くなったので、また次号。

腹が立つ時には

最近、腹が立つということが減った。 なぜか。 自分自身の怒りを眺められることが増えたからである。 腹が立つ時を考えると、大抵が「痛い」ところを突かれた時である。 もう一つは、自分が否定された、妨害されたと感じた時である。 要は、ほぼ全てが、自己防衛本能の発動である。 ...

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