2017年3月9日木曜日

鬼を救う寺

今回も節分の話。

奈良県のあるお寺では、「福は内、鬼は内」と唱えるという。
全国で追い払われた鬼たちを仏門に帰依(神仏を信仰させること)させるためだという。

なるほど、追い払われた鬼にも行き場が必要である。
全国の「鬼」に、救いの手をさしのべる。
苦しんでいるものほど、救いの手が必要である。

そう考えると、子どもの中の「鬼」にこそ、救いが必要である。
学校は、「鬼」を追い払う場ではなく、救う場である。
怠け心も卑しい心も何もないのならば、救う必要はなく、来る必要もない。
そういう「鬼」が心の中にあるからこそ、学校は集まって学ぶ意義がある。
学校に来る子どもがみんな勤勉で誠実で完璧な善人ならば、教師に教えられることは一つもない。

むしろ逆で、人間の中には「鬼」がいることを認める。
教えている教師の方にもいることを認めて、伝える。
「私はいつも真面目で道徳的で、完璧な生活をしています。」という人がいたら、気持ち悪い。
親だって教師だって、そんな立派な人間な訳がない。
煩悩だらけである。
そういう人間が集まって、多少なりとも良くなっていこうという場なのである。

だから、悪いことがあってもいい。
良くなろうとすること自体が大切である。
「鬼」は大人になっても一生ついて回るものだから、一生勉強である。
「鬼」に支配されてはいけない。
付き合い方が大切である。
子どもに教えるとともに、自分自身の「鬼」との付き合い方を考えたい。

「学級崩壊」の言葉を捨てる

素直さと学級崩壊との関連について。 学級崩壊の分岐点は、ここなのである。 子どもがひねくれてしまっているのである。 最初から聞く価値がないと各々が判断している訳であるから、当然授業も成り立たない。 素直でないので、何を言っても聞かない。 「だって」と「でも」で屁理屈...

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