2017年3月14日火曜日

「〇〇なら知ってる」の勘違い

休日で緩い話。

ずっと以前、「パンケーキ」なるものを食べてみるという、どうでもいいことを編集後記に書いたことがある。
実際食べてみて、なるほど、普通のホットケーキよりかなり分厚いくて色々のっているのね、という印象だった。
1回食べたことにより、「パンケーキ?食べたことあるよ。」的な態度である。

しかし、である。
先日、別の店で久々にこれを食べることにした。
出てきたものは、全くの別物である。
ものすごいふわふわ感。
ホットケーキの分厚いやつではなく、全く別の類の食べ物。
とんでもない量のクリーム。
うまし。
(そして、食後かなりの胃もたれ感。)

「パンケーキは知っている」といっても、別次元のパンケーキが存在した。
衝撃である。
これは、あと10回ぐらい別の店で食べないと「多少なりともパンケーキを知っている」と言えないのではないかと煩悶した訳である。

で、教育メルマガ的に何が言いたいのかというと「〇〇を知っている」という時、かなり気を付けないといけないということである。
例えば教育の分野でいうと「野口流〇〇」「向山型〇〇」「原田メソッド」「陰山メソッド」「ほめ言葉のシャワー」など、様々な教育の論や手法がある。
これらを「知っている」人も多いだろう。
実際やってみたという人もかなりいることと思う。

しかし、である。
「知っている」とは、どの程度を指すか、相当に曖昧である。
何十年もそれをやり続けている人も、ちょっとかじった人も「知っている」という言葉に包含される。
例えば私は「野口先生の国語ならよく知っているでしょう」と言われることがあるが、とんでもない話である。
野口芳宏先生の国語実践は、とんでもない量があり、その全体の1%すら知らない。
全国に「野口塾」があり、著作もそれ以外の出版物も山ほど出回っているから「知っている」人も多いだろう。
野口実践だけでなく、その人生までも研究して本にする方もいるぐらいだが、そういう人ほど「よく知っている」とは言わない。

幼児や小学校低学年を考えるとわかる。
子供たちは何か提示するたびに「それ、知っている!」と大騒ぎする。
「知っている」レベルが浅いほど、「知っている」と堂々と言えるのである。
私の「パンケーキ知っている」がその好例である。

次期学習指導要領においては「深い学び」が必須条件である。
「深い学び」とは、「知っている」が増えるほど新たな疑問が生じて「知らない」が増えるという、一見矛盾した現象が起き続ける学びである。
ソクラテスの「無知の知」である。

今後「〇〇のこと知っている?」と聞かれたら、ちょっと立ち止まって答えるようにしたい。

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