2017年1月4日水曜日

病床にて 自分の存在意義を考える

昨年、お休みをいただいた日があった。
39℃越え。
久々に本当の高熱な感じの発熱である。

私がいなくても、学級も学校も何とかなってしまう。
有難いと同時に寂しいことだが、それが事実である。

そう考えると、何のために自分は仕事をしているのか、考えざるを得なくなる。
自分がいることでどんな付加価値があるのか。
頭数としてはいないと困る面もあるだろうが、それ以外ならいなくても同じか。

職場の空気を悪くするのなら、マイナスの付加価値である。
自分に会うことで不快な思いをする人がいたら、これはマイナスである。

逆に、自分がいることで元気が出たり雰囲気が良くなるのであれば、これはプラスである。

あるいは、どちらでもないかもしれない。
可もなく不可もなし。
それがダメかというと、そうでもなく、人員の役割としてはきちんと果たすのだから、あながち悪くもない。

そう考えると、役割として子どもの前に立つというのは、意味はあるのだが、実につまらないことである。
その立場にある人であれば、誰でもいいということになる。
自分自身を一人の人間として出しながら接しない以上、付加価値はない。
子どもだって、本当に一人ずつ違うのだから、一人ずつとして見て接することに価値がある。

結局、うまい授業をするとか以上に、子どもと接することである。
様々な「やるべきこと」に追われて、子どもと話せない、遊べないほどつまらないことはない。

休みをいただくことで、自分はどうあるべきか考え直すきっかけになった。

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