2017年1月2日月曜日

表が裏 裏が表

最近思うこと。

人間性というのは、隠し立てできない。
初めて接する人ならいざ知らず、何度も顔を合わせる相手なら、誤魔化しは効かない。

言葉より、行動である。
それも、誰も見ていないところでの行動に、人間性が滲み出る。

つまりは、本人にとっての裏である。
自分とっては裏で見えていないであろうと思える面が、他人からは表になる。
自分の顔は、自分では見えないが、他人からは容易に見える。
顔に出るというのはそういうことであろう。

逆に、表をどんなにきれいに取り繕っても、他人からは裏に見える。
化粧が上手なのと同じで、それ自体はいいのだが、それは素顔ではないと見られている。

学校の指導の場面でいうと、掃除が一番わかりやすい。
誰も見ていないところで黙って地道にやっている子どもは、何より周りの子どもが知っている。
他に知られない訳がない。

逆も然りで、教師がいる時だけきちんとやっているふりをしても、周りの子どもが知っているし、教師にも残念ながら見えてしまう。

どちらも、知らぬは本人ばかりである。

裏が表で、表が裏。
人間性を磨くには、地味で目立たない行動を積み上けまるしかない。
日々、修行である。

「学級崩壊」の言葉を捨てる

素直さと学級崩壊との関連について。 学級崩壊の分岐点は、ここなのである。 子どもがひねくれてしまっているのである。 最初から聞く価値がないと各々が判断している訳であるから、当然授業も成り立たない。 素直でないので、何を言っても聞かない。 「だって」と「でも」で屁理屈...

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