2016年5月14日土曜日

言葉にできないことは、できない

上越教育大学教授の赤坂真二先生からの学び。

赤坂先生が、講座で次のことを参加者に問いかけた。
「所属感とは、何ですか。隣の人に説明してください。」

明確に説明できるだろうか。

例えば「集団において存在を認められること」と説明したとする。
すると、「存在を認められるとは?」とさらにきく。
広い抽象化概念を、限りなく狭い具体まで掘り下げていくのである。
抽象化の反対で、具体化である。

言語にできないことは、できない。
教えられない。
つまり「いきいきとした学級をつくる」と言うのであれば、「いきいき」を具体的に言えないとだめということである。
「やる気スイッチとは何ですか」という問いに、言語化して答えられないと、「やる気スイッチ」の本は書けないということである。
「切り返し」についても、同様である。

懇親会の席で、赤坂先生と珍しく真面目な(失礼。)話をした。

20代の先生は、一生懸命学級経営をすればよい。
しかし、30代からは違う。
言語化して、下の世代に伝えていく必要がある。

全くその通りである。
安定した学級経営をするというのは、30代にとっては基本技能である。
(それでもバランスが崩れることはある。
それは20代でも50代でも同じことである。
ピンチをチャンスに変えればよい。)

つまり、うまくいく方法や考え方を、人に伝えられないと、自分の場だけで終わる。
人に伝えられるなら、広く役に立てる。
現場にいれば、直接後輩の指導にもあたれる。
しかし、それ以外の場でも、いくらでも方法はある。
例えば指導主事というような立場は、言葉でもって現場の教員を導く。
広く若い教師を救う立場である。
だから、そういうことができる人が指導主事になるし、各校でひっぱりだこになる。
(28年度にご栄転になった方もいると思うが、大いに期待されている証拠である。)

本を書くのも同様。
自分のためだと思うと、書けない。
言語化する苦労をする必要がないからである。
しかし、人に伝えるため、役立たせるためだと思うと、何とか言語化しようとがんばれる。

人は、自分のためだと、あまりがんばれない。
しかし、人のためだと思うと、がんばれる。
子どものためだと思えば、教師はがんばれる。
(しかし、善意の押しつけはいけない。「私がこんなにがんばってるのに」は、一番迷惑である。)

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本は、気合いがいる。
お金を出して買ってもらう。
内容が相手にとって良くなければ「損した」と思われる。
怖いことであるが、だから本気度が違う。
セミナー開催も、同様である。

言語化して伝える。
言語化できないことは、できない。

「子どもを幸せに」とは、どういうことなのか。
自分の中に、定義をきちんともっていたい。

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