2016年5月16日月曜日

甘えさせる」と「甘やかす」の見極め

「甘えさせる」と「甘やかす」の違いについて以前書いた。
ごく単純化して言うと、
「甘えさせる」は子どもの成長を促し、
「甘やかす」は子どもの成長を阻害する。

具体的にどういう行為がそれぞれに当てはまるのか。
線引きが難しいとはよく言われるが、一つ指標になる見分け方がある。

それは、「自力でできることか」という一点。

例えば小学一年生の子どもに「食事を作る」ということは負担が大きい。
よって、一般に親が子どもに食事を作ってあげることは「甘やかす」ことにはならない。

しかし「箸を並べる」ぐらいは子どもだってできる。
もっと「水やお茶を用意する」ぐらいもできるかもしれない。
それら普通にできることを全てやってあげ続けると「甘やかす」につながってくる可能性が出る。

無論、小学一年生の子どもに食事を作らせることも、できなくはない。
時にやらせてもいいし、場合によっては毎朝準備することもあり得る。
それは家庭の事情や教育方針によるものであり、一概にいえない点でもある。

全部やってあげるにしてもやらせるにしても、そこに意図があればよい。
無意図にやってあげ続けているなら、見直すべき点があるということである。

ちなみにこの見分け方は万能ではなく、「できるけれども手伝ってあげた方がよい」という場合もある。
しかし、一つの指標にはなる。

以前「我が子を抱きしめる」ということは大事な「甘えさせる」行為であるということを書いた。
http://president.jp/articles/-/16508?page=3
(「プレジデントオンライン」記事)
「抱きしめる」という行為は、どうがんばっても子どもが自分でできないのである。
「話を聞いてあげる」「一緒に遊ぶ」も同様である。
親ならではのことは勿論、担任ならではのできることもある。

この考え方は、学級経営にも応用できる。

それは、子どもにとって自力でできることかどうか。
できることに無用な手出しをしていないか。
逆に、自力ではできないことを、放置していないか。
よりうまくできるように導けるチャンスと見た時、手出しをすべきか控えるべきか。
(夏休みの自由研究・工作などは、ここが悩みどころである。)

選択の連続である子育て、そして学級経営において、一つ指標となる考え方になるのではないかと思い、提案してみた。

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