小学館セミナーでの学びシェアの続き。
陰山英男先生の言葉。
「だらだらを勉強させない」
どういうことか。
私のメモだが、次のような話をされていた。
「だらだら分数の勉強をしているのは、分数の勉強をしているんじゃない。
だらだらの勉強をしているんだ。」
以前紹介したことのある、野口先生の「教材内容と教科内容と教育内容の違い」の考え方に近い。
つまり、分数の計算の学習自体は、教科としての内容。
しかし、だらだら勉強をしているのは、「だらだら」の勉強なのである。
「だらだらやる」という学習となる。
「24時間道徳」と同じ考え方である。
同じことが、仕事にもいえる。
今日出勤するのは、何のためなのか。
労働対価としての給与をもらうためなのか。
一日を過ごしてゴールデンウィークに近付くための、単なる忍耐の時間なのか。
社会に出て自分を役立て、人に喜んでもらうためなのか。
目的意識の違いで、得られるものは全く変わる。
(ちなみに、どんな働き方をしようが前2つは手に入る。)
話を戻して、子どもにマイナスの学習をさせない。
ただ教科内容を教えれば良いというものではない。
学生時代、こちらが聞いていようがいまいが、ひたすら喋るだけの授業を受けたことがあると思う。
歴史の時間なのに「内職」として英語の学習をしていたり、ひどいと弁当を食べていても黙認されていることもある。
これは「授業を聞かないで自分勝手にしてもよい」
「自分の受験に関係のない学習は無意味」
という学習をさせていることになる。
子どもに何を学習させているのか。
教科内容だけでなく、教育内容にまで目を向けるようにしたい。
2017年6月6日火曜日
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