以前紹介した『人生はあるあるである』からの気付き。
この本に「自分の周りにいる人こそ自分自身」という小タイトルの話がある。
給料が安いとか上司が悪いとか、不満を言う人はどの社会にもいる。
しかし、これは当然だという。
例えば、相手から雑な扱いを受けた時。
「自分はいい加減な対応でいいと思われている。」と考える。
つまり、もっと頑張らねばならない。
相手の対応の悪さで怒っている若手には
「お前がナメられてんねんで」
と教えてあげるという。
私も共著『やる気スイッチ押してみよう!』の中で、
「苦手な相手は鏡」ということを書いている。
全く同じことである。
相手に、不平・不満を抱いたら、自分が至らないということ。
子どもにダメなところがあったら、自分をふり返ること。
だらしなさに腹が立つようなら、自分の中にもそれがある証拠である。
もっと努力すればいいのにと思ったら、自分はどうかと考えること。
相手を批判するのは簡単。
しかし、批判して人を指さす時、「人差し指」は文字通り相手をさしているが、小指と中指と薬指は、自分を指さしている。
批判している相手の三倍は自分のことである。
何か言いたくなったら、ぐっと我が身をふり返るようにしたい。
2017年6月12日月曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
教室は、自分の考えを発表する機会が多い。 そして、声が小さいと聞こえづらい。 そうなると「大きな声で」という指導が入りがちだが、これだけだとうまくいかない。 前提条件がある。 まず、たとえ小さな声でも何とか聞こえる環境を作る方が先である。 原則は、仲間の発表中は全員が黙って聞く姿...
-
あいさつ運動、どの学校でもやるのではないかと思う。 しかし、なかなかできるようにならないのが実情である。 街中、都会になるほどしなくなる。 人が多すぎる為かもしれない。 それでも、学校はあいさつ指導の核になる場である。 (全ての教育の核は、学校である。地域の大人も学校の...
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...



0 件のコメント:
コメントを投稿