2017年2月6日月曜日

冬休みの宿題ゼロを考える

メルマガ上では正月に書いた、冬休みの宿題の話。

どんなものを出しただろうか。
定番は、書き初め。
ポスター等の図工作品。
加えて、冬休みパワーアップドリル的なもの。
年度末の学力検査対策のねらいがあるのかもしれない。
日記からの冬休み新聞で〆という感じである。
よくあるパターンだし、私も過去に出したことがある。

宿題を出す側も大変だが、やる方も大変である。
特に低学年になればなるほど、どれも、「親への宿題」と化す。
もしかしたら、今日はこれから鬼と化して我が子にびしばしやらせる予定のご家庭もあるかもしれない。

冬休みというのは、見た目に比べて案外短い。
年末から正月にかけては、家の行事も多く、意外と出かける暇もない。
夏休みほどの宿題の量はないこともあって、最後の追い込みでやる子供の割合が高いと思う。

私は、かねてより長期休みの宿題反対派である。
義務系の宿題は、可能ならば一切ない方がいいと思っている。
(好きで描くポスターや旅行記など、その時ならではのものに子供が自主的に取り組むのには賛成である。)

学校や学年の事情や意向もあるので、そこを無視はしない。
やると決まれば出す。
しかし、実は個人的には長期休みは宿題ゼロでいいと思っている。

なぜ自分の考えが多数派にならないのか。
なぜ宿題ゼロはなかなか実現されない、または歓迎されないのか。
理由を考えてみた。

私の分析によると、教員になる人は結構小学校時代が優秀であることが多い。
宿題を計画的にこなせる数少ないはずの人種が、職員室には結構いる。
そういう人には「計画的にやれば大丈夫」という論理になる。
無理である。
いや、無理である。
私自身は子供の頃、そこでえらい苦労をした覚えがある。
今でこそ色々と計画的にこなすようになったが、それは大人になってからの話である。
(何度も言っているが、「夏休みの友」(4教科の1学期の内容が全部入っているやつ)が強敵であった。
復習の「夏休みの友」。
友とは名ばかりである。
復讐の「夏休みの悪魔」に改名した方がいいと思っていた。)

また、宿題ゼロにすると、保護者から反対の意見が結構出ることがある。
それは、家でダラダラして困るということである。
まあ、ダラダラする子は宿題を出してもダラダラするので、最後に怒るだけ損な気もする。
ただ意外にもそういった意見が出る家の子供は、宿題を出さなくても何かしらやる。
よって、どちらにせよやはりあまり意味がない。
子供・親・教師の三者の苦労が増えることだけは間違いない。

つまり、出す出さないどちらの場合にせよ、教師の側が「宿題を出す理由・出さない理由」を明確に言える必要がある。

今まで普通にやっていたことを止めるのは、勇気がいる。
しかし、時代は変わっているし、決断して行うことが必要な時もある。
宿題を「当たり前」に考えない視点も大切ではないかと思う次第である。

オレオレ病

作家であり心理学者でもある、早稲田大学名誉教授の加藤諦三先生の言葉。 ================ 他人のために何かをしてあげれば、 大抵の自分の悩みはたちどころに消える。 ================ 大学生の頃、教育心理学を専攻していたこともあり、加藤諦三先...

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