2015年9月8日火曜日

できる人が、できる時に、できることをする。

前号の続き。
被災地からの学び。

今回の一番の収穫は、現状のごく一部を少しでも知ることができたという点である。
「百聞は一見に如かず」の言葉の通り、直に触れることで初めてわかることがあった。

世間一般の「4年以上経ち、東北もだいぶ復興してきた」というのは、全くの誤認である。
福島の現状は、放射能の「除染」が進まないと、全く立ち入ることができない。
(先日、一部の地域で避難勧告が解除されたが、それに対してもまだまだ課題が多いようである。)

徐染作業は、気が遠くなるような困難さがある。
表面の土をすべて取り除く。
取り除いた土をどうするかも課題で、福島では、各所で黒い袋が山積みになっている。
竹などの土中に根を広く張る植物が生えていると、そもそも土の表面を除く作業にたどり着けないので、その伐採からスタートである。
これは、すべて人力である。

しかも、ボランティアの数は年々減る一方。
先の「復興十分進んできたでしょう」という誤認はその原因の一つであるらしい。
実際、そういう地域もあるが、福島は、全く人手が足りていないのが現状とのことだった。
ボランティアの作業内容自体も、地味で地道な作業である。
正直、これでどれぐらい前進したのであろうと思うほど、気が遠くなるほどやることがたくさんある。
しかし「千里の道も一歩から」で、一歩動けば一歩分、確実に前進している。

道徳資料等でよく使われる、次の話を紹介する。
「ハチドリのひとしずく」

森が燃えていました
森の生き物たちは われさきにと 逃げて いきました
でもクリキンディという名のハチドリだけは 行ったり来たり
口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます
動物たちはそれを見て
「そんなことをして いったい何になるんだ」と笑います
クリキンディはこう答えました
「私は、私にできることをしているだけ」


正直、被災地に何かしらの影響を与えられるのだろうかという疑問が、心のどこかにあった。
やってみて、一つの解が見えた。
被災地の中の一人の方が、本当に困っていることをやらせていただく。
ボランティアセンターに掲げられていたのは、次の言葉。
「できる人が、できる時に、できることをする。」
その積み重ねがあれば、きっと何か変わってくるだろうという、そういう感じがした。

私は、正直、そんなにたくさん現地に足を運んで働くことはできない。
しかし、その分、情報発信はできる。
子どもたちにも伝えられる。
一人一人が、自分にできることを、自分の方法でやるというのが大切なのではないかと思う。
「掃除に学ぶ会」で見た「一人の一歩より百人の百歩」という言葉に通じる。

自分の力は小さい。
ただ、それが集まり、さらにこれが積み重なることで、何かが変わってくるのかもしれない。
この前にも後にも、数え切れないほどのたくさんの方々が、数年にわたって交代しながら繰り返し続けていくことになる。
必ず何か変化がある。

自分は、今回被災地に対してできたことはほとんどなかったが、被災地から学ぶことは多くあった。
この学びを今回で止めずに、被災地に学ぶということをこれからも少しずつ続けたいと思う。

腹が立つ時には

最近、腹が立つということが減った。 なぜか。 自分自身の怒りを眺められることが増えたからである。 腹が立つ時を考えると、大抵が「痛い」ところを突かれた時である。 もう一つは、自分が否定された、妨害されたと感じた時である。 要は、ほぼ全てが、自己防衛本能の発動である。 ...

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