「こういう時にどう指導すればいいんですか」と質問される。
一応のアドバイスはできるが、必ず「自分の場合は」ということを強調して話す。
「一応」というのは、本当にそれでうまくいくかの保証がないからである。
実際に見ていない教室の子どもへの対応アドバイスは、本当に難しい。
真逆の方法がいいこともあるからである。
ただ一つ言えることは、「長期的視点を持って指導する」という点である。
例えば「友達への言葉遣いが悪い」という時に、直ちに正すか、見守るか。
これは、相手に応じて、長期的視点を持って対応を変える。
短期的には我慢が必要なことでも、長期的に見た時に効果がある方の手段をとる。
言われている相手の子どもが「その言葉は嫌」と言えそうか。
言えそうな子どもなら、それを見守るか、きちんと嫌だと伝えるよう相手側にアドバイスする。
言っている側の子どもにとっても、第3者の教師の言葉より響くので、両者の成長にとって長期的に見て上策となる。
また、言っている側が放っておいても気付きそうな子どもなら、放っておくこともある。
人に言われるより自分で気付く方が上策である。
あるいは、言い返せなさそうな子どもが一方的にやられている様子なら、「それは傷つく言葉だよ」と直接指導することも有り得る。
放っておくと本人が気付かなそうであれば、指導するのが長期的視点で上策である。
つまり、様々な方法論はあるが、「この場合は絶対これ!」というのは無いというのが嘘偽りのない本音である。
(ただし、あくまで常套手段と禁じ手はある。)
教師と子どもは「人間対人間」。
生身の人間同士の本気のぶつかり合いである。
もしこれが機械相手で決まった反応があるなら、どんなに楽で、味気ないことか。
いつでも、動き続ける局面での真剣勝負。
だからこそ、多くの方法を知っておくほど、対応の幅が広がり、後で良かったと思える場合が増える。
だから、常に学び続ける必要がある。
いつでも、その指導がどんな結果をもたらしそうか、長期的視点を持って指導にあたりたい。
2015年5月21日木曜日
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